Ma*To インタビュー 1986年10月
(ちゃClub 会報 No.25 より転載)

新婚間もない頃の Ma*To さんのインタビューです。
なお文中に出てくる80年代の世界一周旅行は
彼のホームページに詳しいので、
まだの人は是非一度ご覧ください。

:最近ご結婚なされたそうで、おめでとうございます。

Ma*To(以下M):ありがとうございます。

:奥さんのどのあたりに魅力を感じたのですか?

M:はっきり言って一目ボレです。パッと見た感じがいいなと思いました。

:子供はまだ作らないんですか?

M:まだ作りません。
(編注:現在はお子さまが2人おられます。)

:そうですか。それではそろそろ音楽の話に移りますが、学生の頃バンドとかやってましたか?

M:やってました。その頃の担当楽器はベースとかキーボードもやってました。

:デビューのきっかけは?

M:高三の頃にPAを始めたんですよ。それで、最初の仕事がイエローというバンドのライブPAで、イエローっていうバンドはジョニー・ヨシナガさんとかのバンドで・・・そのPAの下働きね。

:それでタブラはいつごろから始めたのですか?

M:タブラは、三・四年前にチャクラのPAやってて、仕事が大変でいやになっちゃったのね。それでやめて、旅に出たんです。それで最初にインドに行って、最初に行った場所があるんですが、そこは聖地で、アシュラムっていう道場みたいのがあってさ、風邪ひいちゃったもんだから、インド行ってすぐ。だから、アシュラムに入って健康的な生活を送って、少しインドに慣れようかってことで入ったんですけど、最初に入ったアシュラムが二週間いなければいけなかったんです。その間ヒマだから、じゃタブラでも習おうかっていうことで先生さがして、それで、今晩から来なさいって言われて、行ったら、どれぐらいやるつもりなんだって聞かれて、二週間ですって言ったら大笑いされて、でやってみたらぜんぜん音が出なくて、大変だってことがやっと分かって、先生にゴメンナサイして、その時少しやったのが始まりです。

:板倉さんとはいつ頃知り合ったのですか?

M:ぼくがPAはじめて、最初に付いたバンドが“野毛ハーレム”ていう横浜のバンドで、それをやってた時に、その頃まだアマチュアだったチャクラといっしょにライブハウス出たりすることが多くて、それでチャクラ聞いていいなと思って、チャクラのPAやらしてよって言ったら、ちょうどチャクラもPAさがしてて、ちょうどいいやということになって。それで合宿があるっていうんでいっしょに行ってそれがデビュー前の合宿で、そのままデビューして、それが最初だったんです。つまりファンだったんです、チャクラの・・・・・・。

:チャクラのPAはどのくらいやってたんですか?

M:二年ぐらいかな。「さてこそ」のレコーディングのトラックダウンの途中ぐらいにやめていったんじゃないかな。僕はライブの方だけで、レコードの方はぜんぜん関係してなかったから。レコーディング入る前に、来月でやめますって言って、その頃ちょうどヒマしてた森村ひろしに「PAやんない?」って言っておしつけてやめていっちゃった。別にチャクラが嫌でやめていったんじゃなくて、インドに行きたくてやめたんです。

:なんでインドへ行きたかったんですか?

M:別に、ただ行きたかった。

:行ってみてどうでした?

M:行ってみておもしろかった!

:インドはどれくらい行ったんですか?

M:インドは半年です。とにかくどんどん日本を離れるつもりで行ったのね。で最初にインドに行ったんだけど、次に行くところを決めてなかったんですけどインドは最高半年しかいられなくて一度外に出なければならないんです。じゃどこか行かなきゃと思ってバスがあったから、バスに乗って日本と反対の方へ行こうと思って、それでパキスタンとかイランとか越えてトルコ行って、どんどん日本から離れていったら、地球はまるいということを忘れててアメリカ越したら日本へ帰って来ちゃったんです。

:日本へ帰ってきて、一番最初にやったことはなんですか?

M:その頃の記憶はあんまりないんだけど、突然、チャクラの第三期、南洋でヨイショの頃参加したんじゃないのかな。

:板倉さんとかいっしょにやった時の印象はどうですか。

M:板倉さん?板倉さんはぼくの人生の師です!尊敬してます!仕事もいろいろやらしてもらったけど、大変勉強になることばかりでした。

:Killing Time のことについて聞きたいんですけど、Ma*Toさんの占める地位は?

M:占める位置ですか?最下位です。奴隷の一番下です。

:でも、Killing Time の最初のオリジナルメンバーでしょ?

M:いや、オリジナルメンバー、ていうのは、僕もよく知らないけど、文と、清水君と、森村ひろしと、逆瀬川さんと、その四人が最初みたいよ。それは僕が旅している間の出来事で、よくわかりませんが。

:Killing Time の中で曲とか書いてますか?

M:曲は書いてないです。間のアイデアとかフレーズとか、あとみんなで作る曲とかもあるけどね・・・。

:それでは、最近の仕事は何をしてますか?

M:最近の仕事は、録音とPAと打ち込みと、タブラと、あとなぜかキーボードとかパーカッションとか人のライブでやってます。僕キーボードひけないのにそういうのやってるっていうのありますよ。

:今日はこのスタジオで何やってたんですか?

M:今日は 溝口肇くんのレコーディングで打ち込みをしてました。
(編注:「溝口肇/水の中のオアシス」のシーケンサー・プログラミングと思われる。)

:今まで板倉さん方面だったので、美潮さんについてですが、美潮さんはどういう人ですか?

M:美潮さんはね、大人こどもです。で最近はお姉さんになってます。えらく落ち着いちゃって。お姉さんしてますね。前はよくチャクラの頃はすぐ泣いたり、おこったりしてだんだけど・・・。

:第一印象とかおぼえてますか?

M:第一印象は、特種なキャラクターだなということですかね。ああいう人はめったにいないでしょう。

:美潮さんのソロのPAとかやってみて、チャクラの時との違いはありますか?

M:ソロの方の美潮はね、ちょっとかまえてるかなっていうのがあったんだけど、かまえてるってのはつまり、けっこう美潮っていつも考える人だけども、行動の方が先に立っている人だと思ったのね。それが、考えが頭デッカチになってるんじゃないかとも思ったんだけど、でも音楽は好きでした。

:同じ血液型のB型なので親近感がわいてくることはありませんか?

M:そういうのわかんない。ああB型なんだ美潮も。う〜ん、どうなんでしょうね。

:これからの予定を聞かせてください。

M:これからの予定?自分のことやりたいですね。

:具体的には?

M:まだ僕は仕事の方向をさがしてる最中なんで、今いろいろやってるでしょ。いろいろやって中途半端になってるところがあるから、具体的な形がみつかってないのね。今、ミキサーもやってプレイもやって打ち込みもやって、みたいな型をとっているでしょ。そういうのって他にあんまりないんだけれども、それだけじゃなくて、漠然とした、ちょっと違う形が、まだ何かあるはずなので、それを見つけることと、音楽が僕ヘタクソだから、もうちょっと家でシコシコやりたいです。謙虚な姿勢で。

:Killing Time の予定はどうなってますか?

M:ライブがいっぱいありますよ。11月に3本、12月に1本あります。けど、僕って明日のことしかわかんないんで・・・・・・。
(編注:六本木ハートランドつた館オープンイベント、サイケデリック物理学Xなど。)

:じゃ明日は何をしますか?

M:それが今日スケジュール帳をあっちゃん(編注:奥さんのことです。)が間違えて持ってっちゃったんで、明日のこともわからないんですけど。

:それでは最後の質問ですが、果たして Ma*To さんはどういう音楽を求めているかという質問なんですけど・・・・・・。

M:気持ちのいいものでしょう。気持ちがよくておもしろいものです。

:それとインドとの関係は?

M:ぜんぜんないです。

:これから職業としては、PAとかPLAYとか、どれが中心になっていくんでしょう?

M:PAは今仕事としてはやってないの。好きなバンドだけ、趣味でやってるだけなんです。今はにわと、UPLMをやってて、Killing Time のPAもやりたいんだけどできないし、仕事としては考えてないです。大変だから。
(編注:UPLM は当時川島“バナナ”が Killing Time や Pink のメンバーと結成していたバンド。)

:PLAYの方は?

M:あれも仕事としては考えてないの。だって仕事になると思ってないから。よくぞ僕みたいの使ってくださる。皆様に感謝してます。

 

(1986年10月18日 スタジオテイクワンにて)

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