青山純 インタビュー 1990年3月
(ちゃClub 会報 No.45 より転載)

★キリング・タイムの3枚目のニューアルバム「Bill」(6/21 エピックソニーより)のレコーディングも終了し、いよいよ発売を待つのみとなりました。
 3月のまだレコーディングの続く忙しい中、銀座にある「音響スタジオ」にて青山純さんにインタビューさせていただきました。

−キリング・タイムとして活動するようになって、どのくらいになりますか?

青山(以下−青):えーと、「Skip」に参加したときはまだゲストということだったけど、それから数えたら3年かな?3年前の2月ぐらいということになりますね . . . . 初めてレコーディングに参加したのは。
(編注:「Skip」の発売は1987年9月21日。)
 その前に、はにわちゃんバンドで半分ぐらいキリング・タイムのメンバーだったでしょ。だから3,4年のつき合いですね。
(編注:1986年8月より約半年間、仙波清彦氏率いるはにわちゃんの正式メンバーとして板倉文・清水一登・メッケンの3人が参加していた。)

−もともとははにわちゃんバンド等でのつき合いもあって、メンバーとは知り合いではあったわけですが、いっしょにやろうという事になったキッカケは?

青:そもそも、ドラマーがいないバンドだったでしょ、キリング・タイムって。それで、仙波さんとかがおじゃましてやってたりとかしてたし、はにわちゃんバンドの活動もその頃、止まっちゃってたし、それと清水君のセッションとかでもやらないかという話もあって、まあ、気の合った感じだったから。はにわちゃんバンドから、キリング・タイムにとらばーゆしたみたいな感じ。音楽性も似たりよったりだったし、年代も同じだし。じゃあ、やろうかみたいな。
 僕は「Bob」を聞いて、けっこう感動して、「こんなバンドが日本にもいるんだ!」って思ったんですよ。板倉さんが、前からキリング・タイムというバンドをやっているのは知ってたんだけど、どんなのをやっているのかは知らなくて。それで「Bob」を聞いて、じゃあ、ちょっとやってみたいなと。初めてステージをやったのは大阪だったかな?
(編注:青山氏の初ステージはサイケデリック物理学Yツアー 1987年2月6日名古屋・2月7日大阪とされている。)

−それで、やってみてどうですか?

青:ひどいバンドですよね(笑)。ペースがひどくて。最初は困っちゃいましたよ、時間のペースとかね。はにわちゃんバンドの頃は、仙波さんとかが、リハーサルの時とかでも、ピッピッと区切ってやってたでしょ。そういうものだと思ってるから、じゃあ何時からリハーサルをやります、とかね。
 初めてステージをやった時も、最後のリハーサルに板倉さんがこなかったりとか。メンバーが集まって音を出すのに3時間以上かかったりとか。今でもそうなんだけどさ(笑)。マネージャーの小摩木くんも、「なんだ、このバンドは!」みたいなさ。

−そうなんですか。それでは話はかわりますが、青山さんから見た、キリング・タイムの各メンバーの印象についてお聞きしたいのですが。まず、板倉さんは?

青:板倉さんはねぇ、やっぱり板倉さんですよね(笑)。

−つき合いはいつ頃からですか?

青:最初は仙波さんの「はにわオールスターズ」。チャクラっていうバンドも前から知ってたんですけど、はにわオールスターズで美潮ちゃんもボーカルをやってたし。でも、美潮ちゃんよりは板倉さんの方が、面識あったというか、挨拶もしないという感じ。この人が板倉文か、みたいな。
 板倉さんって、本当の音楽家ですよね。いわゆる、巷にいる産業音楽をやっているアレンジャーでもないし、でも本当はメロディーメーカーだけどね。いわゆるヒット曲をかく作・編曲家ではないし。で、ギタリストとしても高い評価をしてる。うまいんじゃないんだけど、ヘタクソなんだけどいわゆる、ヘタウマみたいな、味わいのあるという。人間性もそうですね。味わいがあって、すごくやさしいしね。

−では、清水さんは?

青:清水君の場合は、あだ名が「譜面マン」というくらいで、譜面にかじりつきの人です。あの人は、わがままな音楽家という感じ。その瞬間が良ければ、すべて良しみたいな。でも、ずいぶんかわりましたけどね。

−そうなんですか?

青:昔はもっと、気性の荒い人で、怒るとピアノを蹴飛ばしたりとかしたんだけど、最近はそういうのはあまりやらない。すいぶん、かわったいんじゃないかな、結婚して。

−チャクラでやってた頃とかとくらべると前はひかえめな印象を受けたんですけど。

青:ひかえめに見せているだけ。実はそうじゃないんですよ。情熱家。まあ、みんなそうだけどさ。

-Ma*To さんは?

青:いちばん、平均的な、モラルある、社会人的なものに近い、ミュージシャンですね。一番、まじめなんじゃないかな。まじめっていうとアレかもしれないけど、ペースものんびりだし。みんなを通して言えることは、音楽に対して「ねばり腰」だね。ネコ以外は。ネコはTDだろうが、ダビングだろうが、顔を出さないからね。
 ネコは、ルックスは一番じじいみたいだけど、いちばんガキ。ボンボンだから。あっ、これ載せといていいよ(笑)。本当にボンボンだから。わがまま坊主。

−ではホアチョさんとメッケンさんは?

青:ホアチョとメッケンとかって、いい意味で子供のままだね。ホアチョはおもしろいよ。パーカッションをやっているやつってみんなおもしろいけど、あの人は特におもしろい。話している内容とか、興味を抱いている事とかが、そのまま楽器にでるというか、そのままおしゃべりしているみたいな。それで、いい意味で子供みたいなんだよ。とても普通の32歳の人とは思えないけど、でもミュージシャンはあれでいいと思う。ミュージシャンはそうでなくちゃだめなんだけどね。あと、2人ともゲーム性の高いミュージシャンですね。

−それでは青山さんの話に戻りますが、レコードでは「Skip」から正式参加したということですね。

青:そう。その「Skip」の時もすごかった。板倉さんに、「河口湖スタジオに行くから、青ちゃんと仙波さんとで参加してよ」って言うんで、「いいよ」って言って、レコーディングの当日に行ったら、仙波さんと僕しかいないの。エンジニアもきてない。それで、アシスタントエンジニアと僕たちだけで先にやっちゃってさ。仙波さんは自分の家業が忙しいとかいって、途中で帰っちゃって、メンバーが集まったのが夜中とかさ。エンジニアがきたのが朝の4時とかさ。その頃から、何なんだこいつらはみたいな。いったい誰のレコードをつくってんだかわからないみたいなね。仙波さんは、つき合いが長いから、動じないの。「この人たちはこんなもんだから、大丈夫。先にやった方がいいんだから。先にやって帰っちゃっていいから。」みたいな感じ。僕はけっこうとまどってたけどね。
「Skip」では、メンバーというより、おじゃましますみたいな感じだった。その次の「Irene」からは各自1曲ずつ持ちよるという、いわゆるバンド的な割合が強まってきましたよね。

−ところで、新しいアルバムのレコーディングの方はどうですか?

青:今日から、TDが始まったんですよ。新曲も入ります。ステージでやっていたのでは、「サロン」、「ブリビッツ」とか「ゆっくりさん」って言っていたやつとか。こんどは一応、「ダンス」ということで、キリング・タイムのいうダンス・ミュージックとはどういうものかということで始まった。ペースとしては、今までのレコーディングの中では順調なんじゃないかな。
(編注:CDでは「サロン」→「Upon Hearing」、「ゆっくりさん」→「Limbo's Dance」とタイトルが変わっている。)

-青山さんが聴き手として、キリング・タイムのそれぞれのアルバムをどう思いますか?

青:まず、とりあえず「Bob」の衝撃はかなりありましたね。でも、みんな好きだな。もう「Skip」なんかは、ぐしゃぐしゃでよくわからないけど、たまに聞くといいし。でも寝おきにはちょっと聞けないな。
 「Bob」はすごいですよ。だって、あれ3拍子でしょ。3拍子であんなに踊れるのをやっているなんて、他にいないしさ。しゃれてるよね。

−青山さんの曲では「Kokorowa」が「Irene」に入っていますが、とてもキリング・タイムらしい曲というか、ものすごくとけこんでいた様に思えたんです。もちろん、共通する部分も多いからだとは思いますが、キリング・タイム風にしようなどと思って作られたということはありますか?

青:そういうのはないです。だから、わりとセンスとかフィーリングが似ているんですよ。似たもの同士がみんな集まっているというような感じで、いわゆる若いバンドみたいに毎日リハーサルをやって、ステージをたくさんやって、「イェーイ!」みたいな感じじゃないからさ。(笑)みんな、じじいだから。おじさんだし。
 だからバンドというか、セッションのグループみたいなんだけど、バンドとしての音はちゃんとあるのね。「キリング・タイム」のサウンドっていうものがね。Ma*To のタブラとホアチョのパーカッションだけをとってもキリング・タイムの音だし、清水さんのピアノをとっても、ネコだけをとっても、僕とメッケンをとってもそうだし。だから、全員がポッと演奏した瞬間にキリング・タイムになるという。

−最近では小川美潮さんがゲストとしてよく参加していますよね。

青:あの人はすごいからね、歌がやっぱり。美潮がどうして、ボーカル・ゲストとしてやるようになったかといういきさつは知らないけど、あの人がいても自然だからさ。全然、知らない人がきたらキリング・タイムじゃなくなっちゃうんだろうけど、美潮だったらキリング・タイムのうえにのっかって、小川美潮が歌いました、みたいな対比を楽しむみたいなのがあるじゃない。それも僕らも楽しんでるし、あの人の歌を聞くのが好きだし。美潮といえば、5月頃から、ソロ・アルバムのレコーディングをやるそうですよ。
(編注:「4 to 3」 のこと。)

−板倉さんがプロデュースをやるそうですね。

青:僕も参加するよ。キリング・タイムのメンバーもやるんじゃないかな。あと、近藤だいちゃんとか仙波さんも参加するみたい。

−ところで仙波さんといえば、お付き合いは長いですよね。

青:長いですよ。もう10年ぐらいになりますか。師と仰いでますから、僕は。はにわオールスターズから発生して、オレカマと、はにわちゃんでしょ。それで今は、はにわ隊というのをやってますが。これはレコーディングの予定があるみたいです。それから、そのうち「はにわちゃん祭」をやろうじゃないかという話がある。年に1回くらいはそういうのがないとね。仙波さんは大人数でやりたい人だから、星陵会館かどこかで、一子さん(橋本)を呼んできたり、美潮とか歴代のボーカルを呼んできたりして、パーッとそういうお祭りみたいなものをやりたいなと言っていたから、それは実現するかも知れませんよ。

−それはとても楽しみですね。

青:楽しいでしょうね。大変だけど(笑)。

−人数が多いですからね。

青:はにわオールスターズが初めて六本木のピットインでやった時は30人以上いて、休憩時間に誰も控室にもどれないの。だからステージでそのままビール飲んで、タバコ吸って。パジャマ姿で。
(編注:男はパジャマ、女はテニスルックという衣装でのライブだった。)
お客さんより、メンバーの方が多かったという(笑)。

−仙波さんがね、メンバーが30人以上いるから、メンバー紹介をする時に、一人1分間ずつやっても30分以上かかっちゃうと言っていたのを覚えてます。

青:そうそう!(笑)。

−ところで、シアターコクーンでのステージは、すごく良かったですね。
(編注:1990年1月9日 東京・渋谷文化村のシアターコクーンでのライブ。ゲストボーカルに小川美潮。その一部が後日 NHK BS2 で放映された。共演は、三四郎 with TAO)

青:あれは良かったでしょ。三四郎はひどかった(笑)。

−聞かないで帰っちゃったんですよ(笑)。

青:いいよ、帰っちゃっても。その日のアンケートを見たんだけど、三四郎をみにきていた人は、キリング・タイムは何をやっているんだかわからないとか、ノイジーだとかさ、書いてあった。

−「キリング・タイムの時は拷問でした。」とかいうのもあったそうですね。

青:そうそう!だから一般的に変な面で、拷問だみたいな、そういうイメージを抱かれているところってあるじゃない。インプロビゼーションが長いしさ。
 表参道の CAY でやった時もさ、店長が「ちょっと、これじゃあ、うちの店では困ります。」みたいに言われたんだよ。うちのマネージャーも怒っちゃって、2度とここではやらない、とか言ってさ。自己満足の音楽だとかさ、一般的に凶暴だとか、フリージャズみたいだとか言われるけど、実はそうじゃないんだよね、キリング・タイムって。センスのあるロックバンドっていうかね。

−では、最後になりますが、読者のみなさんに何かひと言、お願いします。

青:新譜に期待して下さい、ですね。

(1990年3月19日 音響スタジオにて)

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