MAGMA / Concert
Bobino 1981
MAGMAは1981年5月12〜16、19〜23、26〜30日の計15日間パリのBobino劇場で連続公演を行った。
書籍「MAGMA」(Albin Michel社刊 1978)の著者であるAntoine de Caunes氏は
自ら監修するTV番組"Chorus"のために、この公演のTV放映を企画する。
撮影は5月16日の公演で行われ、放送されたのは"Hhai"と"Otis"の2曲だけだったが
実際には全ステージが記録されていた。
フランスTV局は自分たちが権利を持つ映像に関しては、その利用に関して法外な使用料を要求してくる。
ゆえに、SEVENTH Recordsでさえもそれらに手を出すことができず、
例えば1970年のMAGMAフルステージ映像といった垂涎モノ映像がいっぱい死蔵されているらしい。
近年フランスで放映されたTV討論番組の中で70年の演奏とおぼしき"Stoah"の1部(約25秒)が流れ
上記映像の存在が単なる噂ではないことが確認できている。
(もっと安ければSEVENTHから公式発売も夢ではないだろうが・・・)
そういう状況でSEVENTHが1995年にBobino公演のフルステージ映像をビデオとして発売できたのは、
たぶんAntoine de Caunes氏が権利をTV局に譲らず所有していたおかげではないかと推測される。
地元のファンの間ではずいぶんと前から流出モノビデオが出回っていたのもあるいはそのせいかもしれない。
さて、せっかくカタログに載った「Concert Bobino 1981」だが、製造コストの問題で、
VHS版はSECAMとPALのみ対応であった。当然日本の通常のビデオデッキでは再生不能。
TV方式の違いに泣いたNTSC圏のファンも多かったに違いない。
かく言う私も、その存在は知っていても発売から5年は手を出せずにいた。
2000年に思い立ってマルチ方式のビデオデッキを購入、すぐさまSEVENTHにSECAM方式のVHSを注文した。
届いたビデオを急いでデッキに突っ込んでみてみたが、その画質の悪さに愕然。
何世代も経たビデオ特有のつぶれとちらつきがひどく、
「貴重な映像が見られるだけでも幸せなのだ」、と自分を慰めなくてはいけなかった(笑)。
そんなわけで今回DVD化の話をはじめて聞いたときに思ったのは、画質はどうなんだ?
という素朴な疑問。あの画質でDVDはありえんだろう(笑)。
届いたDVDを見て、最高画質ではないが大幅な向上が見られたので一安心だった。
見ても分かりにくいかもしれないが、一応参考までにVHS、DVDのキャプチャー画像を並べてみる。
どちらも左がVHS、右がDVDからの画像である。差がお分かりいただけるだろうか?
残念ながらDVDもオリジナルのマスターから製作はできなかったようである。
恐らくオリジナルのマスター(1インチビデオ?)は紛失か、TV局所有で手が出せないため
何世代か経たビデオをマスターにしているものと思われる。
何とかDVD及第点を付けておこう(笑)。
さて、1981年といえばファンキー路線真っ盛り、という話は聞いたことがある人も多いだろうが、
この辺を年代を追って少し深めておきたい。
1976年11月、Jannick Top 2度目のMAGMA離脱に伴い、MAGMAは空中分解を起こし
Christian Vander と Klaus Blasquiz は再度メンバー集めから再建に取り掛からなくてはならなくなった。
Giorgio Gomelskiのマネージメントから離れ、バンドの運営も全て自分たちで行わなくてはならなくなった時期でもあり、
MAGMAはこの頃いくつかの現実的な選択を余儀なくされたものと思われる。
パンク、ニューウェイヴにより音楽市場が様変わりし、30分を越えるような大曲は歓迎されなくなったこと。
同時期に録音されたRene Garberのソロアルバム「Heart Music」 (結局いまだに未発表のままになっている)
にも顕著なように、MAGMA周辺ではソウルミュージックからの影響を顕わにし始めたこと。
MAGMA内部でのKlausの発言権が徐々に後退していくこと。
Christianの興味がEmehnteht-Reから'77年に着想を得たZessに向かって変化しつつあったこと。
Christianのプライベート面での動き。
遠い異国の1ファンにとって、このような材料から推測するしかないことではあるが・・・
ともあれ、一時体勢を立て直したMAGMAは女声コーラスを3人に強化、セカンド・ドラマーを置き、
Emehnteht-Reの録音を念頭に、MAGMAフェイズT最後の残光を輝かせて見せた。
しかし相次ぐメンバー脱退に伴い、大曲を維持できなくなってきたMAGMAは
短めのファンキー色の強い曲を増やしたステージへと変化を加速していく。
同年11月のステージではいきなりKlausが観客を煽る声で幕を開け、
9〜11月にかけて録音された「Attahk」から新曲"The Last Seven
Minutes"、"Nono"が演奏されたことが確認されている。
翌1978年になると、前半こそライブはほとんど行われなかったが、
9月下旬から12月末までは月20日のペースで精力的なツアーが展開される。
新レパートリーとして”Attahk (Retrovision)"、"Urgon Gorgo"、"Why
This Man"、"Coltrane Deiss"が加わる。
このツアーの最中10月15日パリはTheatre de l'Empireにおける公演の1部が
今回のBobino公演と同じく"Chorus"でTV放映された。
以下はその映像であるが、すでにカラフルな衣装、派手なステージ演出(Urgon+Gorgoのツインベース登場)等、
完全なファンキー路線に突入している。
Andre Herve, Klaus Blasquiz
Christian Vander singing
"Hhai"
Maria Popkiewicz, Klaus
Blasquiz
Lisa Deluxe, Stella Vander
Gorgo(Jean-Luc Chevalier),
Christian Vander, Urgon(Michel Herve)
続く1979年も3月から6月まで連続ツアーを敢行。
"I Must Return"、"Go in the Wind"、"Le Rock"、"Spiritual"等の小品を新レパートリーとする一方
4月17日BourgesにおけるPrintemps de Bourgesフェスティヴァルにて"Zess"が初演される。
MAGMAとして大きなお祭りに出演する機会が増え続けるのを尻目に
同年後半に不定形のジャズ実験ユニットALIENが始動。
この辺りからChristianのJohn Coltraneへの傾倒ぶりが具体的に公になる。
1980年MAGMAとしては6月のパリOlympia劇場におけるMAGMA生誕10周年記念公演
いわゆるRETROSPEKTIW以外は大きな動きはなし。
その一方ジャズ方面ではALIEN活発化とともにFUSION結成が目を引く。
で、いよいよ本DVD収録の1981年となる。
新曲"Machiaverik Sturme(Zain)"、"Otis"、"Funky
Devil(You)"、"Who's My Love"
がレパートリーに加わる一方"MDK"は完全に姿を消し、
またアンコールではJohn Coltraneの"Impressions"を演奏することもあった。
(MAGMAが他人の曲をカバーするのは81〜83年の間だけである。)
MAGMAとしては年末まで以上の路線(ステージ衣装も含めて)が続いたようである。
ジャズ方面ではALIEN、FUSIONの他にChristian Vander Trio名義のライブも数回行われている。
あまり詳しくは書けないが、Christianの私生活面でも大きな転機を迎えていてのがこの時期である。
この時期の最大の特徴のひとつは極限までショウアップされたステージ。
(特にBobinoはTV撮影を意識してだろう、Christianが化粧までしている。)
下にBobino公演から"Zess"のキャプチャー画像を2点ならべるが、VHS、DVDを見て笑った人も多かったのではないかと思う。
機会があったら、この衣装の意味を本人たちに確認してみたいものである。
爪を生やし、背中に羽根のようなヒラヒラを付け熱唱するChristian
Stella
& Lisa 蜜蜂か半漁人か?
参考までに2003年のZessの様子を・・・
まったく飾りっ気なしである。
さて、その後MAGMAがどうなったのかというと
1982年になると
"Another Day"、"Le Chant du Sorcier(Joiaの原曲)"、"Do the
Music"、
"Opus(McCoy Tynerの"Innner Voice"カバー)"といった曲がレパートリーに加わり、
78〜79年に演奏していた"I Must Return"、"Coltrane Deiss"が少しアレンジを変えて再登場する一方
"Zain"、"Urugon Gorgo"、"Retrovision"、"Who's My
Love"、"You"は姿を消す。
一聴してファンキー色は後退、すでにOFFERING前段階的な雰囲気が出てきている。
アルバム「Merci」は1984年に発売されたが、収められた内容は1977〜1982年のものだということが
以上から多少なりとも理解いただけると思う。
続く1983年には"Theusz Hamtaahk"が復活するが、基本的には1982年と同じ路線、
"Another Day"がどんどんこなれて曲本来の持ち味が出てきている。
そして6月4日マルセーユでの公演を最後にMAGMAは1996年までしばしの休眠に入り、
同年10月パリ公演からOFFERINGが始動する。
<結論として>
本DVDはMAGMAとしては非常に特異なファンキー時代の演奏を収めたものであり、
MAMGAの人気がフランス本国でも下火になりつつあった80年代始めの貴重な映像である。
(隣国ドイツ辺りでもMAGMAの動きはほとんど伝わらなくなっていた。)
白目をむき、髪を振り乱して歌い、叩きまくるChristianの姿は
MAGMAの中に、紛れもなく米国黒人音楽のパッションが脈々と受け継がれていることを示しており、
こうすることでしか表現しようのない巨大な何かが彼を突き動かしていたのだということがお分かりいただけると思う。
なおファンキー路線についてはそういうものが唐突に現れてきたわけではなく、
まもなく発売されるであろう「KA」の1部でもある"Gamma"で既にその兆候が見えていたことは確認しておきたい。
2004年10月28日
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