Magma 関連プロジェクト

Transition
Univeria Zekt
Utopic Sporadic Orchestra

WB01539_.gif (682 バイト)Transition

シングル Black Night とアルバム In Rock のヒットで人気沸騰の第2期 Deep Purple は1970年10月にフランスツアーを行っている。ミュールーズ Mulhouse (アルザス地方の都市), リオン Lyon, ソーショー Sochaux の3都市に於いて Transition という名前のバンドが前座を勤めた。(これ以外に Elbeuf における Zoo の公演でも前座をしている。Sochaux, Elbeuf 共にフランス北部 Lilles の近くの小さな町)
このバンドのメンバーは

Chrsitian Vander
Francois Cahen
Teddy Lasry
Francis Moze
Claude Engel

の5人。完全にお金のためのお仕事として、60年代のスタンダードジャズを演奏したが、Deep Purple を見に来た観客の反応は最悪。メンバー達は急遽バンド名を Dis Popaul (Deep Purple のフランス式発音をもじった、皮肉なネーミング)に変更し、DP風のハードロックもどきの曲を、ギターの片手弾きやこれ見よがしのドラムソロを交えて演奏せざるを得なかったという。

WB01539_.gif (682 バイト)Univeria Zekt

ここで扱う Univeria Zekt は、Christian Vander と Rene Garber によって設立された Magma のバックアップ組織の名称ではなく、1971年たった1枚のアルバムを録音するために結成されたグループのことである。

このアルバム、メンバーはほとんど Magma なのに、音はブラスロック+フォーク+ブルース色の強い謎の多いアルバムであった。
Klaus Blasquiz はかつてインタビューでこのアルバムのことを
「まあ一種の別名のような物だ。バンドとして活動していくうちに、メンバーの中でも同じ精神を共有できない者が出てきたので、Univeria Zekt を Magma のコンセプトとして使うことにした。」(Marquee誌 Vol. 048)
と語っている。これだけでは、なんとなく単なる Magma の別動ユニットのようなモノか、とすっきりしないまま無理矢理納得させられたような気持ちになっていたのだが、1993年仏 MUSEA 社によるCD化 (Univeria Zekt / Unnamables  MUSEA FGBG 4086.AR   邦盤 ユニヴェリア・ゼクト/無敵艦隊 MARQUEE  MAR 95136) に際してつけられたブックレットにこの辺の事情が詳しく載っているので、それを元に再構成して紹介したいと思う。

結論からいえば、このアルバムは Magma のオリジナルベーシストで、当時はエンジニア、プロデューサーとして深く Magma に関わっていた Laurent Thibault のレーベル THELEME の販売戦略の産物である。

1971年、自らのレーベル THELEME を興した Laurent Thibault は4月に最初のバンド Ergo Sum と契約を交わす。同月10日、Magma はセカンドアルバムの録音を Herouville のスタジオで完了している。当時このスタジオは Michel Magne (70年代後半から80年代前半にかけて5枚のアルバムを発表している。)の持ち物で、 Strawberry Studio と呼ばれていた。仏 BARCLAY 社のアーティストマネージャーの仕事をしていた Laurent はこのスタジオを利用する事が多かった。Laurent はこの頃フランス各地で起こっていた新しい音楽の流れ、特に Magma を THELEME レーベルでプロモートしたいと思っていたが、Magma は当時 THELEME の親会社である PHILIPS と契約していた。Laurent は実績づくりのためにまずは1971年7月から8月にかけて行われたコンピレーションアルバム Puissance 13+2 のセッションに Magma を参加させ、 Mekanik Kommandoh の現在知られている最も古いヴァージョンを収録することに成功した。さらに Laurent は、英米のポップミュージックに慣らされた耳には、あまりにオリジナルな Magma の音楽に、新しいファンを呼び込む戦略を Chrstian Vander と話し合う。結局、A面に Blood Sweat & Tears, Flock, Chicago などが既に成功を収めているブラスロックや R&B 調の曲を並べ、 B面の Magma の本来のスタイルにより近い音楽へのスムーズな移行を促すアルバムを制作しようというアイディアに落ち着く。詰まるところ Magma の宣伝になるこのプロジェクトとそこに Magma のメンバーが参加する件を PHILIPS は簡単に承認した。

Christian Vander は Magma のセカンドアルバムに参加した全ミュージシャンをこのプロジェクトに参加させることにする。但しトランペットの Louis Toesca はバラエティー歌手 Eddy Mitchell のバックバンドとして、夏のツアーに同行する契約を済ませていたので、キューバ出身の黒人トランペッター Tito Puentes に代役を頼むことにする。(Christian は、60年代末彼が Rene Garber や Alain Charlery と出会ったその頃、ある R&B バンドで仕事をしていた Tito と知り合いになっていた。)それに加え、Laurent は THELEME レーベルから Claude Engel, Zabu, Lionel Ledissez (Ergo Sum のヴォーカリスト)を呼んだ。

レコーディングセッションは1971年8月23日から29日にかけて、 Strawberry Studio (後の Chateau d'Herouvilles)で行われた。事前のリハーサルは一切無し、全曲スタジオ内で仕上げられた。城を改造したスタジオ内で、ミュージシャン達はあらゆる機材を自由に使用でき、録音は夜中であろうが早朝であろうが気分が乗ってくれば敢行される。城の中には中庭と水泳用のプールがあり、彼らは半ば監禁状態での集中的なセッションによるストレスをここで発散させ、レコーディングは終始良い雰囲気の中で行われた。

最初のセッションの結果には満足がいかず、メンバー達は何度も音を練り直す。特に大半の曲を書いた Christian Vander と Teddy Lasry は各ミュージシャンに完璧を期し、何度も何度もやり直しを求めたという。
こうして最終テイクはほとんどスタジオライブ一発録りで録音された。お互いのことを良く知り尽くし(Tito と Lionel 以外は皆 Magma で演奏したことがある)、プロミュージシャンとしての経験を積んでおり、ジャズの知識も豊かでこのように即興の多い音楽も難なくこなしたので、リハーサル不足を補って余りある結果が得られたのである。結局レコードに収められた7曲だけが録音された。ミックスダウンは1971年8月28日と9月16日の2日で完了。

ジャケットのデザインを決めるに当たって、Laurent は Christian にアイルランドの現代画家 Duncan の53枚の絵を見せて、その中から1枚を選んでもらうことにする。Christian は "The Unnamables" と冠された1枚を選んだ。その絵そのものの出来が良かったこともあるが、とりわけ Christian が気に入ったのはそのタイトルで、その怪物か地球外生物を連想させるネーミングは同時に Magma の「安易な分類を避ける姿勢」にもぴったり合致していたのである。

Univeria Zekt / The Unnamables は1972年1月にリリースされ一部の評論家からは絶賛されたが、セールス面では1500枚程度の売上に終わった。かくしてこのプロジェクトはその後ステージで再演されることも、続編が制作されることもなく Magma の歴史に埋もれてしまうのである。

WB01539_.gif (682 バイト)Utopic Sporadic Orchestra

1975年10月17日フランス Nancy において開催されたジャズフェスティバル (Nancy Jazz Pulsations)で、Janick Top 作曲の De Futura の初演のためただ一度だけ編成された大掛かりなプロジェクト。長らくその実体は謎に包まれていたが、(一部では Magma, Henry Cow 人脈総動員、総勢38名という説もあった) 近年になって、フランスの熱心なファンによってようやくその全貌が明らかになった。参加メンバーは以下の18名

Janick Top : bass
Christian Vander, Jean Schoultes : drums
Christ Amistopoulos : percussions
Jean Pierre Sebastiano, Gerard Bikialo, Philippe Briche, Georges Gaspy : keyboards
Sauveur Malia : fretcello
Denis Lable, Jocely Piccen : guitars
Didier Lockwood, Michel Ripoche, Mohamed Larbi Ouchni : violons
Herve Derrien : cello
Frederic Gegenbach, Stella Vander, Martine Toureil : chorus

曲名ははっきりと "De Futura Hiroshima (ドゥ・フュートュラ・イロシマ)" とアナウンスされている。
演奏時間は約23分。ステージで1回、地元のTV収録のため1回の計2回演奏したそうだ。このTV放送された約3分がすでにブートビデオとして一部で出回っているが、今回明らかにされたのは演奏前のメンバー紹介も含めたステージ演奏のコンプリート音源。出処は Janick Top 本人とのこと。大所帯のため逆に後に Magma で聞かれるような激しさにはやや欠けるものの、曲としてはすでに完全に出来上がっており、分厚いアンサンブルとそれをも圧倒するほどの Janick Top の重低音ベースはすさまじい。曲の出来の良さに感動した Christian Vander が Magma に持ち帰ったというのは有名な話。

WB01539_.gif (682 バイト)Fusion

WB01539_.gif (682 バイト)Alien

WB01539_.gif (682 バイト)Step by Step

(準備中です。)

 

Magma のページに戻る Back to Magma page

Back to home    ホームページに戻る