Christian Vander / Korusz
始めに
今回AKTから発売された Christian Vander / Korusz は実際そのほとんどが1972年〜1975年の
Magma のライブ音源から抜粋されたものである。では何故、 Christian
Vander 名義になっているかというと、ほとんどのパートを Christian
が1人で演奏しているからである。
当時 Magma はメンバー内で "Chorus de Batterie
(ドラムの叫びまたは単にドラムソロの意)"と呼ばれていた曲を演奏している。(ファンの間では
"Ptah"の方が通りがよいが、厳密には両者は同じものではないらしい。)
オフィシャルな形では過去1度だけ Magma / Concert 1976 Opera de Reims
(AKT
\)に収録されたこの曲について、いままでに分かっている事実を元に、その謎に迫りたい。
曲について
聴いてもらえれば分かるとおり、これはそのほとんど全てのパートを
Chtistian Vander
が1人でドラムで演奏するだけの曲である。(時には叩きながらコバイア語で何かを叫んでいる。)一般に云うドラムソロと違う点は、この曲があらかじめドラムのために作曲されたものであって、それ故に毎回同様の展開を見せているということである。決して全てを即興でやっているわけではない。他のほとんどの曲同様、この曲も長い年月の間に着実に深化発展を続けてきた。
この曲がいつ頃からステージにかけられるようになったのか、正確なところは分からない。今回収められているヴァージョンで一番古いものは1972年9月29日のものだが、それ以前となると、1972年7月2日(3月12日という説もある)
Metz におけるライブ音源に、Ki Iahl O Liahk
に続く形でドラムソロが確認されている。果たしてこれが Korusz
と呼べるものかどうか分からないが、9月29日の方も冒頭にかすかにフェンダーピアノとベースが聞き取れることや、展開が似ていることから、当時はそういう形で演奏されたものと推測できる。
続く1973年についてはCDには一曲も収録されなかったが、5月11日のライブでは
Rene Garber のものと思われるバスクラリネットと Klaus
の声をイントロに、この曲をやっている。
1974年になると、既にライブの定番となっており、たいていの場合第1部のステージの最後に演奏され、Christian
Vander と Klaus Blasquiz
を除く全員は退場。パーカッションと口上による短いイントロを終えるとKlaus
も退場し、ステージはChristian
の独り舞台となる。当時のライブを見ているファンからその様子を描写してもらったので、ここに紹介する。
「1974年には Christian と Klaus がステージに残り、Klaus は導入部として、打楽器とあらかじめ用意されたコバイア語テキストによるパフォーマンスを少しやり(Korusz V @ Douai や Korusz W @ Charleroi が良い例)、その後彼もステージから消える。1人残った Christian はその時の気分に応じて、多かれ少なかれ何かにとりつかれたように陶酔状態に入っていき、凶暴な顔つきになり目がグルグル回りだし、ついには白目をむいてしまう。(ジャケ写真参照)最高にノッてくると、曲の終わりにコバイア語で何かを語りはじめる。」
1975年には導入部に曲が付く。この曲は後に「ライブ!」のCD化にあたって追加収録された
"Ementeht-Re (announcement)" であり、CDではフェイドアウトして行くが、実際のステージではその後に
Christian 1人が残って、ドラムを叩き続けている。
1975年のインタビューで Klaus Blasquiz は次のように述べている。
「あの曲は、今はただ Chorus de Batterie と呼んでいるが再構成して将来のアルバムの題材とするつもりだ。Chorus de Batterie をライブで演り続けているのは2つの理由がある。まずひとつは、これがまったくそれだけで独立した曲であって、遊びや冗談でやっているのではないということを分かってもらうため、もうひとつはこの曲が芝居ががった処があるので、初めて Magma を見に来た人を引きつける見せ場として役に立っているということ。更に言えば、これはひとつの曲なんだから、出来る限りステージで演って練り上げる必要もある。但し一旦レコード用に録音してしまえば、Christian が一人でこの曲を演る事はなくなるだろう。他のパートも付け加えられて、Magma は全員でステージに立つことになると思う。その時はドラムの即興も無くなるということだ。」
このインタビュー発言から推測されることは次の2点。
1. Chorus de Batterie
を取り込む形での、より大きな楽曲が構想されていた。(これが
Ptah か?)
2. 視覚的要素の大きい曲で、それ故ライブのお目当てになるくらい人気のある曲だった。
1に関しては(後述するように)この後も様々な曲との組み合わせが試されており、試行錯誤は続いていくが、結局最終形を提示するには至らなかった。
2に関しては、77年5月のステージがTV放映され、その中に短い抜粋がある他は、現地ファンの間でも映像は残っていないので、上記の描写を元にイメージを膨らますしかないようだ。
1976年になると Emehnteht-Re (announcement) は Chorus de Batterie
とは切り離され、後に Udu Wudu CD化の際のボーナストラック
Emehnteht-Re (extract n.2) と続けて、 Hhai
へとつながっていく構成になっている。Chorus de Batterie の方は、76年前半では、公式盤
"Opera de Reims"
で聞かれるように、冒頭にギター、ベース、フェンダー、シンセ、パーカッションなどにドラムを交えた10分近い集団即興的イントロを持ってきて、その後
Chorus de Batterie へ繋がっていく。
この後 Magma はバンドとしては一時混乱状態に陥り、Jannick Top
が復帰して Udu Wudu の録音、秋にはいわゆる Renessance Tour
へと連なっていくのだが、この頃 Jannick Top
作の未発表曲をイントロに Chorus de Batterie
をやったと云う情報もある。(未確認、海賊盤 La Musiaue des Spheres
1976年11月1日ではほとんど Christian の一人舞台)
1977年には、Zombies と続けて演奏されており、4月2日 Rombas では
Zombies 〜 Chorus de Batterie
と2つの曲を繋げただけの構成だが(海賊盤 Live De Futura
で聴くことが出来る。)、6月にはいると両者の間に2つの未発表曲を挟んだ形が確認されている。一方は
Jannick Top の作品と言われていて、1976年10月にも Zombies
に続けて演奏されている。(インタビューなどで言及されて Glah
という曲らしいが、未確認。)もう一方は Theusz Hamtaahk と Retrovision
の中間のような、後のファンキー路線の萌芽もみられる Klaus
のヴァーカル爆発曲。この頃になるとChorus de Batterie 自体はおよそ10分程度に縮まってきたようである。
この後メンバー脱退が相継ぎ(Jean de Antoni, Clement Bailly, Florence Berteaux)、Attahk
の録音開始と共にファンキー路線を強めだし、Chorus de Batterie
は自然にステージから消えていったようである。(11月にはジャズロック風に変形された
Zombies に続いてわずか数分のドラムソロがあるのみ。)
なお5月のパリ公演の映像が12月にTV放映されており、その中に数分の抜粋ではあるが
Chorus de Batterie
も含まれていた。セカンドドラマー用のプラットフォームから飛び降りる勢いまで利用して、林立するシンバルを叩き暴れ回る若き日の
Christian Vander の姿は衝撃的であり、MDK
と並ぶ人気曲であったという話も頷ける。
お終いに
今回の Korusz リリースで分かったように、Seventh には過去の貴重な音源が、CDリリースに充分耐えられる音質で大量に残されているということである。今回乏しい資料を基に駄文を書いてみたが、やはり全てのファンが簡単にこういった音や画像を手に入れられる状況が望ましいのは言うまでもない。Chorus de Batterie を含むコンプリートなライブ音源の発売予定も Christian 自身最近のインタビューで明言しているので、AKT の今一層の奮起を期待したい。