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「音楽、それは指先の戯れなどでは決してありません。」
1031日のチャットのゲストはドラマーChristian VANDER
ネットサーファー達とのやり取りをここに掲載する。

 

 altaiMAGMA発足当時から使われているあのシンボルマークは何を意味しているのでしょうか?

Christian VANDER:あれは太陽の象徴です。実際このアイディアを図案化したのは私です。
それを胸当てにして身に着けようという考えもあったのですが、実現が難しかったので、
ある友人がペン
ダントにしてくれたのです。
マグマという言葉は確かに火を象徴してもいますが、それはまったく私の望むところではありません。
このマークは音楽、言語、そしてグループ名と並行してやって来たのです。

 

ludoMAGMA結成のアイディアとそれに伴うコンセプトはどのようにやってきましたか?
Coltraneの死がきっかけとなったのでしょうか?
PINK FLOYDJohn ColtraneMiles Davisらと並んで)2021世紀の規範となるグループMAGMA万歳!

Christian VANDER:グループの誕生は時を得ていました。良い音楽が欠乏している時期だったのです。
Coltraneが去った時、私は彼が残した足跡に倣いたいと思いましたが、
なかんずくあの時期にはそれは出
来ない相談でした。
そんな冒険に挑戦してみようという人は一人もいなかったのです。
あの音楽を自分のものとするには一定の時間が必要でした。
私はジャズに身を置く考えでした、私はジャズの只中で育ってきたからです。
しかし、あの様な色彩、または雰囲気を持った音楽を演奏する者は一人もいませんでした。

1969年の春のことです。Coltraneが去った時、私は彼について行くつもりでいました・・・。
幸いにも私は啓示を受けることが出来たのです。
ある日私はイタリアのトリノで、光り輝く街を見ながら自分に言いきかせていました。
「違う、このまま死んでいくことなど許されない。
Coltraneはむしろ我々に命を与えてくれたんだ。」
そして私はパリに戻る決心をしたのです。

結局、全ては密接に絡み合っていきました。
あるツアーの最中に私は互いに理解しあえるミュージシャン達と出会いました。
当時の私の奏法は十分に斬新でモダンなものでした、なぜなら私はドラマー
Elvin Jonesに心酔していたからです。
彼はある方法でドラムに革命をもたらしました。私はこの人から大きな影響を受けていたのです。
皆は多くを強拍音符で叩くのに対して、
Elvinは全てを弱拍音符で叩いていたのです。
残念なことに、私の演奏全てを理解してくれる人はいませんでした。

以来私は何か今までと違うことをやりたいと望んでいる大勢の人と出会い、同時に作曲も始めました。
この年、一人の大物ピアニストからの申し出を受けました。
私を
New Yorkへ連れて行って、ベースのRon Carterとトリオを組んでレコードを録音したがっていました。
彼は
John Hicksといい、少し後でPharoah Sandersのグループのピアニストになった人です。

 

oliverstoned:同時代の進歩的なグループ、特にフランスのGONG CLEARLIGHTHELDONとは
どのような交流があったのでしょうか?

Christian VANDERGONGMAGMAがライバル関係にあったと思っている人もいるようですが、
多分
GONGの方にその気があっても、私にはありませんでした。
Daevid Allenはあるコンサートのお終いにこう言いました。
「これは
MAGMAの惑星Kobaiaに対抗する惑星GONGの誕生だ。」これには笑わされました。

 

Marcel Docquin(Puy de Dome):ドラムというのは多くのエネルギーを必要とする楽器ですから、
曲によっては演奏が困難だと感じることもあるのではないでしょうか?
私は年に
12MAGMAのライブを見ていますが、あなたが発散するエネルギーには正直驚かされます。
何か秘訣でもあるのでしょうか?

Christian VANDER:音楽にとって動機付けがエネルギーを生み出すのは事実です。
一方、音楽を演奏するに当たって隠し事は良くありません。
そんなことをしていたら逆にエネルギーを消耗してしまいます。
全ては音楽自体が要求することであって、我々が音楽を作るのではありません。
音楽に奉仕する心構えが必要です。
エネルギーのレベルで見れば、それはさほど消耗的なことではありません。
かつての偉大な音楽家達が常に我々を突き動かす動機となっています。
彼らがいたからこそ、私も音楽を
続け自分の可能性を限界まで突き詰めようとしているのです。

音楽、それは指先の戯れなどでは決してありません。
それは苦悩の末生み出されるものなのです。
現代では室内楽としてジャズが演奏されるわけですが・・・
そこでは私の敬愛する偉大な音楽家達が驚くような演奏を繰り広げ、
そして明らかに突拍子もない色彩感覚を持っていました。
ドラマーの例を挙げるなら、
Elvin Jones, Philly "Joe"Jones, Tony Williamsなどです・・・。
ジャズの偉大なミュージシャン達は、どんな楽器を演奏するかには関係なく、
あのように幅広いレンジの音を身に着けているのです。

Alice:ステージでの持久力をつけるために、あなたは特別な訓練をしたと聞いています。
ドラムセットに錘をつけてプールに沈め、
あなた自身は酸素ボンベを背負ってプールにもぐって演奏したそうですが、それは本当でしょうか?

Christian VANDER:それはまったくの間違いです。
水中で演奏の訓練をしたというのは事実ですがそれだけです。
酸素ボンベなぞはつけておらず、単純に通常とは異なる感覚を身に付けるためにやったことです。
それ以上のことは得られませんでした。
実験的にやってみただけのことです。
ですからそれが持久力の秘訣ではありませ
ん・・・

 

purple:言語に関してはどのような考えをお持ちですか?
それは制限された通信手段の一つであ
ると思いますか?
コバイア語はあなたが表現したいことを示す適当な語彙の不足から生まれて来たのでしょうか?

Christian VANDER:確かこの話題には先ほど触れていますが、
もう一度話をするならば、言語は作曲と同時にやってきています。
私が歌う時、音がやってくることが分かったのです。
言葉がやってきて、私
がそれを選び取るのです。
始めにやってきた音から生まれた”Kobaia”が、最初の言葉だったと言っても良いでしょう。
この言語を
コバイア語と名付けた確かな理由はそれです。
この言葉が何であるかは即座には分かりませんでしたが。

全ては一風変わった出来事として起こりました。
MAGMAという名前もしかりです。
我々は既に十分なリハーサルを行なって、誰かにそれを聴いてもらいたいと思いました。
それで我々はフランスの先鋭的なミュージシャンの集まる場所へ行きました。
そこは
Rock and Roll Circusと呼ばれており、
MARTIN CIRCUSTRIANGLEといったバンドが幅をきかせていました。
我々はそこに集まる人たちに何かちょっと違うもの、
異質な音楽を聴かせてやろうと意気込んでいました。
それである晩我々は
Rock and Roll Circusへ行ったのですが、そこは私的なクラブでした。
私が何気なく呼び鈴を押すと、揚げ戸が開いて「何の用だ?」と聞いてきました。
「我々はバンドだ、演奏したい。」と答えると、「名前は?」と尋ねられました。
私が「名前はついていない。」と言うと、
「名前が無い?それじゃ演奏させるわけにはいかない。」と言われました。

演奏できないというのは我々にとって一大事です。
記憶によれば、私は向かいの喫茶店へ行き名前を見つけようとしました。
「今晩名前を見つけることが大事だ。」独り言を言いながら、
私は自分の中にあるあらゆる種類の音を思い浮かべました。
ある瞬間にひとつの音がやってきました。

”Nogma”、それは私がその23年前に作った曲の名前でした。
しかしこの名前ではまだ不十分でしたので、私はいろんな音を口に出し続けました。
ついに
MAGMAという言葉がやってきたのです。
この時私は言いました。「これだ、これを待っていたんだ。」

それで私は再びドアをノックして言いました。
MAGMAという名前のバンドだ!」
我々は中に入ることが出来て、急遽型破りのジャムセッションを行なったのです。
その日は偶然一人のアメリカ人が居合わせたのですが、
椅子の上に立ち上がってアメリカ訛りのフランス語で言いました。
「こいつは世界最高のバンドだ!」
何かが動き始め、我々はそれを感じました。
そしてこのアメリカ人
Karl Knuttは、我々のために何ヶ月もリハーサルの場所を貸し与えてくれました。
ファーストアルバム録音前の
3ヶ月間我々はそこで練習を行なったのです。

 

Yoann:何度も何度も昔の同じ曲をライブで再演するよりもむしろ、
昔のビデオ映像
(一連のドキュメントが存在しています)をアンソロジーの形で発表してしまって、
別の曲に取り掛かれば良いのにと思うことがあります。
特に
2000年にTheusz Hamtaahk3部作のアンコールとしてアカペラに近い形で歌われていた
素晴らしいバラードのことを念頭においているのですが・・・

Christian VANDER:恐らくは何かの勘違いだと思いますが、
昔のドキュメントというのは僅かしか残っていないのです。
とりわけ映像に関し
ては、当時はビデオ自体が存在しませんでしたから。
1971年にパリ近郊のMJCで撮影されたフィルムが存在することは知っています。
どこかに眠っているはずですが、それがどこかは分かりません。
それ以外に撮影が行なわれた記憶はありません。
バラードに関して言えば、実は、基本的にバラードばかり集めたアルバムを作る予定があります。
しかしそれはソロ名義にすべきものです。
以前亡くなった友のためにアルバムを
1枚作ったことがあります。(訳注:「To Love」のこと。)
このアルバムを気に入ってくれる人もあれば、そうでない人もいます。
しかしあのアルバムはその友人のために作ったのです。

美しいバラードがいくつもあります。
いろんな曲がいっぱいあるのです。
私がやりたかったのは、これらの音楽にある手続きを施すこと、つまり年代順に整理し直すことでした。
実際段ボール箱に放り込んだままになっている曲がいくつもあって、
これら全てに秩序を与えたかったのです。
まだ
”Emehnteht-Re”が残っていますが、
これで
70年代に作られた最後の3部作が完成することでしょう。

同様に80年代から90年代にかけてOFFERINGのためにたくさんの曲を作曲しました。
この時代を追いかけてこなかった人にとっては、

80年代の初めから90年代の中ごろまでの間に大きな穴があいているように見えることでしょう。
この時期に
OFFERITGが存在したのです。
私にはより即興的な音楽が必要でした。おかげで私の歌は大いに上達したのです。

OFFERINGはある点から別の点へ、張り詰めた綱の上を渡るような演奏をしますから、
より大きなリスクは背負いますが、
ゴールに到達できた時は本当に魔法のような瞬間になり得る音楽なのです。
私がドラムを叩きませんでしたので、
OFFERINGは不評でした。
そしていざ
OFFERINGが中断してみると、今度は残念だと言うのです。
何か企画でもあれば、私はいつでも
OFFERINGをやりたいと思っています。
OFFERINGMAGMAを一回り成長させてくれたのです。

reneMuzik Zeuhl17号にはJean Doutreligne氏の文が掲載されていますが、
これは実は
Hitlerとナチズムを信望するベルギーのファシスト政党”Rex”の創設者Leon Degrelleの偽名投稿です。
一方
MAGMACD番号にはREXと記載されています。
また、
MAGMA30年祭のDVDの中には、
イニシャル
J.Gの引用がありますが、これはJoseph Goebbelsに他なりません。
これらの事実を前にして、あなたとナチズムの関わりについて結論を伺いたいと思います。

Christian VANDERDoutreligneという人物とは、面識がありません。
Muzik Zeuhl誌にたった1”Alerte Ouverte”という記事に名前が載ったに過ぎません。
大勢の人が寄
稿しており、記事の内容は筆者の自由なのです。
JGの話に関しては、私の友人が以前ある冊子に記載していた文章をそのまま転用したものです。
文意は「国敗れても軍は屈せず、隊列を組みて進軍を続ける。」
というもので、
JGと署名されています。
私はこの文章が状況にピッタリであると思ったのです。
それは戦いを鼓舞する言い回しで、我々は
Zeuhlの戦士だったのですから。

“Rex”に関して言えば、
丁度過去作の
CD化を始めた頃で、適当な番号を探していたのです。
”Re””reedition(再発)”に対応し、そして”X”をつけたのはどの番号から始めるか決めかねていたからです。
当時我々はマスターテープやレコード盤から全作を
CD化して復活させる途上でしたから。

 

jideFrank Zappaのバンドでドラムを叩いてくれと頼まれたことがあると聞きましたが本当でしょうか?
彼との交流はあったのでしょうか?

Christian VANDER:話を脚色することも出来ますが、答えはノーです。
彼とは一度も、
会ったことさえありません。
彼がMAGMAのことを知っていたかどうかも怪しいものです。
MAGMAZappaを結び付けようとする人が結構多いのですが、私にはそのわけが分かりません。
両者に共通するものが何か、私はまだ答えが出せないでいます。

HeroKobaiaの次に我々が向かう先はどこでしょう?

Christian VANDER:私はどちらかというと無限小に心惹かれるのですが、
人間の関心がこの世的なものに向かうことを考えれば、まったく当然といえるでしょう。
理念とは霊的
なレベルに刻み込まれているべきものです。
私の作品は全てこの世に向けて発せられています。
理念は上に向かうべきものではなく、
一旦底に到達するまで潜ってから別の方向に向かう潜水夫のように、
この世にある結果をもたらすためのものなのです。
無限小は無限大よりも我々の理解の及ぶ範疇にあります。
そして無限大は必然的に過ちの、それも大きな過ちの原因となります。
どこにも拠り所とするものがないからです。
物事の中心にいれば、全てを理解することが出来ます。
我々が全てを認識できるのは中心から眺めた時なのです。
例えばピラミッドです;ピラミッドの全体を外側から眺めることは出来ません。
4つの壁面を同時に眺めるためには何か人工的な仕掛けが必要となります。
4つの壁面が組み合わさっている様子を認識できる場所はピラミッドの内部なのです。

 

司会者:Christian、最後に一言お願いします。

Christian VANDER:直ぐにLe Tritonのステージでお会いしましょう。
他にも質問があれば、多分そこで
深く掘り下げることができると思います。

 

Telerama.fr - 31 Octobre 2006 翻訳:宮本重敏

 

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