マグマ インタビュー 2
Magma Interview 2
La Longue Marche 1975年5月
Sur la Corde Raide 1988年1月
Benoît
FELLER(以下BF):MAGMAはすっかりメンバーが変わってしまいましたが…?
Christian VANDER(以下CV):ひとつ重要なことは、MAGMAに入る前からMAGMAの音楽を演奏していた者はいるということだ。
同様にベースのBernard (PAGANOTTI)は元々CRUCIFERIUS LOBONZというバンドをやっていて、
昔は僕もその一員だった。我々はMAGMAと似通った曲を演奏し、フランス語とは異なる言語で歌っていた。
Benoît WIDEMANNもそれに近い一派の出身だ。
まったく新しい世代のミュージシャン達で、
ジャズ畑出身で無いのは去年と同様だが、それよりもずっと先まで進んでいる…。
このラインアップは長続きすると思う。全員が全力でやっている。
それ以上は僕が長々と弁じることじゃない:皆に黙ってやらせておこう。
彼らは行動で応えてくれるだろう。彼らの誠実さは承知しているから。
BF:多くのメンバーがMAGMAを通り過ぎていきましたが…。
CV:僕はグループのメンバーになんら厳しい規律を要求してはいないが、
規律なきところに存続なしということも知っている。
僕がMAGMAを創造したわけじゃない
−自分の感情を「爆発させる」ために、敢えて品のない言葉を使うけれど−
ほんのちょっとした肉体的憂さ晴らしとして音楽を演っている連中ほど腹の立つものはないよ。
それで聴衆が求める役割を誰がきちんと叶えると言うんだい?
それに対して何の弁解も無いというのは許しがたいことだ。
ところで、かつてMAGMAの音楽を演奏していた者の多くが、
MAGMAに在籍したことがあるというだけの理由で、
自分が作曲家や創造的人間であるかのように信じ込んでしまっている。
残念なことに、彼らの私生活はステージ上の姿とは異なっていた。
僕の生き方は一貫している。劇や映画の出来事では無いからだ。
音楽、それは生き方そのものだ。
一旦ステージを降りれば呑気に生きている者だっている。
僕にとって、音楽が生きがいそのものだというのは一生涯変わらないし、
レコードにもそれと同じことを謳っている。
それでもRené GARBER、Faton、Jeff SEFFERのような仲間には良い意味で驚かされた。
彼らの生き方は一貫していた。
それだから、MAGMAを去った後彼らがだんだんと下火になって行ったのを僕は心から憂いているんだ。
同じことがTeddyにも言える。
Jannick TOPに関して言えば、彼を駆り立てているのは単に信条だけではなく、生命そのものだ。
そんな風に、生命を持っていると言える人間はわずかしかいない。
僕が音楽をやっているのは、それがこの世の営みではないからだ。
しかし、音楽そのものはそれを生み出す動機付けに比べればつまらないものだ。
もしこの世がただの義務として動いているだけならば、僕は音楽なんかやっていないし、そんなものは必要ない。
僕の幼少時代はとても辛いものだった。
もし僕が自分の人生を、自分の人生だけを語るのであれば、僕の音楽は悲しいものになってしまう。
その音楽は僕の経験した苦痛を呼び起こすだけだ。
君の苦痛でもなければ、他の誰の苦痛でもない。
人々は僕にほんのちょっとばかり同情して言うだろう。
「君は不幸だったんだね。可愛そうに。」
しかし、それでは人々を喜びで満たすという観点からすると、物事はちっとも進展していない。
だからもし君が語らなければならないとすれば、
自分の人生ではなくて生命そのものをテーマにして、
なぜそうあるべきだと自分が考えるのかを語らなくちゃいけない。
絶対的な苦痛について語るんだ。
他に言うべき事がなく、自分のことを語っている限りは現状の自分の次元を超えることはできない。
まずは無を知ることから始めることだ。自我には何の価値もない。
価値ある存在に到達し、無限に大きな存在の一部になる道はそれ以外にないんだ。
宇宙の媒介となって、受信状態に身を置く必要がある。
そこに知ろしめす存在から、この世に伝播するべく託されたほんの細やかなことでさえ、
日常の虚しさに比べればとてつもなく大きなものになるだろうから、
音楽も日常的なものから変容していくだろう。
音楽は、そこに誰かの人格が刻み込まれている限り通俗から逃れることができない。
MAGMAの技巧はまだ完成していない。
最も美しさに欠けているのは、僕という人格が付け加えた部分だ。
例えば音符を二つ追加したら、音楽全体が良くなると考えてみよう。
さあ、これは誤りだ。
BF:・・・???
CV:つまり音楽は極限まで浄化しなくてはならないと言う意味だ。
各々の音には20tの重みがある。どうして何十億の音が必要なのか?
ほとんどのギタリストは2つの音を響かせるために50の音を演奏する。
もしこの50の音が持つエネルギーを2つの音に結晶させることができれば、音楽は途方もない重みを持つだろう。
人々はお金を払ってステージの上の道化師を見に行き、自分を笑わせてくれなければ口笛を吹いて野次る。
1回の笑いのために自分の何か月分もの仕事をドブに捨てているようなものだ。
音楽に全人生を捧げているミュージシャンにとってそれは見るに耐えないことだ。
BF:そういう状況をしばしば目にすると・・・?
CV:そう、よく目にする光景だ。
しかしながら、土曜日の夜を徘徊する酔っ払いでさえ、
至上の美に出会えば感動することだってあり得るんだ。
人間の心はどれも同じだから。
至上の美などと言えば、人間味がなく聞こえるかもしれないけれど。
引き出すべきエネルギーを引き出すことができれば全ての人の心を動かすことができる。
そして、もし現在そこまで到達できていないとすれば、それはまだ我々が未熟だということだ。
我々は完全な音楽を作り出すのが極端に難しい状況に縛り付けられている。
日々受けている洗脳のことを考えると、MAGMAを聴くのに大変な努力を要するというのはもっともなことだと思う。
しかし、今のところ多くの人がベーシストの靴下を見にコンサートにやって来ているような状況だ。
そして音楽の持つ潜在的な力と我々がステージで目指すべき本質が持つ「神霊の息吹き」を
聴衆から奪う行為に加担していくミュージシャンもいる。
BF:ミュージシャンだけでなく、他の全ての分野でも・・・
CV:今のところ僕が非難するのは、自分の領域だけで他の分野には口出ししない。
しかし僕の音楽では心を動かせない人はいる。
だから、その分野、例えば演劇で、僕と「同じような人間」がいれば、
その人が自分の思うように演劇界の偽善者達を懲らしめれば良いんだ。
僕が偽善者のミュージシャンを痛めつけているように。
重要な点は、何か一つ専門分野を持ち、それをとことんまで研鑽することだ。
2つの分野を同時に修めることなどできないし、そんなことを考えるのは馬鹿げた事だ。
ただし、趣味としてなら多分OKだ。
Leonardo da VINCIは科学に専心していたけれど、人々が彼の絵に心惹かれているのも確かなことだ。
同様に、僕は息抜きのために数学を勉強することはできるけれど、EINSTEINと議論することは決してないだろう。
ところで僕の得意分野で言えば、いつの日かドラムのEINSTEINにでもなれるのだろうか?
BF:ベーシストの靴下を眺めにやってくる人たちに、そんなことは止めろと咎めることはあるのでしょうか?
CV:それが大きな問題だ。
もしそういう人達がMAGMAのコンサートに触れたおかげで、自分達の体たらくを自覚できたとすれば、
僕は10億歩分の進歩を成し遂げたと言えるだろうね。
我々の激しい生き方が他の人々にも反映される、発展の途中にそんなひとつの段階があると考えている。
一例を挙げよう。我々がコンサートで兜を着用したとしよう。
観客の一人が近づいて来て、その兜が30kgもあることに気付いたとすれば、
彼は当惑し、自問するだろう。
「はて、これは芝居じゃないんだから、彼等はただ重荷を背負っていることになる・・・。」
昔、僕が見た演劇では役者の一人が針で自分を刺して血を流していた。
一般に芝居の小道具は大雑把な作りで、ナイフもプラスチック製だったりするのだが、
その時その役者は本当に血を流し、その後その血を飲んだんだ。
その時の印象の強烈だったこと言ったら・・・。
フランスのミュージシャン達は音楽を台無しにする寄生虫だ。
5年前にわが国の音楽界で自らの音楽を「生き抜く」と宣言していた連中、
例えばMARTIN CIRCUSのBob BRAULTの名前を挙げれば十分だ。
全員、もしくはほとんどが消え去ったか失敗してしまった。
なぜなら彼らには何ら心に訴えるものがないからだ。
そんな連中の名前ならいくらでも挙げてやる。
そうではなく、誠実なミュージシャンはいて面白いことをやっている。
例えば4月8日にLyonで演奏した時に前座で出たバンド、
残念なことに名前は忘れてしまったが、彼らの演奏には心があった。
自分の領域でやるべきことをやっている人たちは間違いなくいる。
しかしながら、現実にはそんな人とは一人も出会っていない。
とりあえず故人はおいて・・・これまで出会ったフランスのミュージシャンは付き合いにくい連中ばかりだった。
Doudou WEISSのような例外はいるが。
皆、昼になると食事のために家に帰るパリの女工みたいなものだ。
彼らには存在の意味も価値もない。
さもなければはした金を稼ぐことばかり考え、
うまく立ち行かなくなれば「パン入りスープで質素ながら腹にたまる食事をする」道化師だ。
それこそが本当の問題なんだ。
どうやれば音楽と道化芝居を一緒にできるのか、僕には理解できない。
一人のミュージシャンが音楽に没頭すると、皆で「奴は気取った音楽を演るようになった。」と非難し、
最初の段階を越えると今度は「エリートのための音楽を創っている。」と非難する。
本物のミュージシャンが最高の音楽を聴かせるために一日中練習する程自分の楽器を愛しているからと言って、
それに悪意を持つなんていくら何でもあり得ない話だ。
しかし皆は自分が一番受け入れやすいものを愛してしまい、
目を閉じてありのままの音楽にじっと耳を傾けたり、
その音楽が解き放とうとしている感覚を深く心に留めようとすることができないんだ。
それにはいろいろと困難が伴うからだよ。
BF:しかしながら、3つのコードしかない音楽でも人の心を深く感動させることができるのではないですか?
例えばブルースのように。
CV:ブルースを演っている連中が語っているのは自分自身のこと、自分達の苦悩の事ばかりだから、
ある程度までしか人の心には届かないだろう。
BF:Giorgio GOMELSKIとの仕事はうまく行っていますか?
CV:ああ、まず言いたいのは、
普通の国で平均的な感性を備えた人間を相手にしていれば
2年で終わらせるべきことに5年もかけてしまったということだ。
フランスの音楽のレベルと文化はどうしようもない。
ここまで来るのに5年だ!
Giorgioは我々と一緒に今のツアー巡回経路を頑張って作り上げてくれた。
残念なことに我々が数知れぬ苦労をして作ったまさにこの巡回路が、
今や我々のやる気を根本から殺いでしまうようなバンドのツアーに利用されてしまっている。
我々は本物の音楽、例えばZAOの音楽を擁護するためにこの巡回路を作り上げた。
さて気付いてみると、我々が汗水たらして働いた何年分もの労苦が、
醜悪な群れに寄ってたかって台無しにされている。
今この瞬間この言葉を聞いて(見て)いる者は、自分の事を言われていると知るべきだ。
MAGMAとZAO以外にこの非難に耐えられる者はいまい。
しかし、我々にもこんな状況にある程度責任が無いわけではない。
この巡回路が生き延びるにはMAGMAだけでは駄目なんだ。
同じぐらいの質を持ったグループが他にいくつも必要だ。
そしてそれを見つけることができなかったから、敵対する最も虚弱な音楽の中に我々は没してしまったんだ。
(僕がここで相手にしているのはプロの、名前の通った連中だけだ。)
英米の影響を受けなくてもヨーロッパ大陸から巣立って行ける音楽を求めて僕らは闘い続けてきた。
英米人たちはフランスのバンドを聞くと心の底から笑うが、僕もそれには同感だ。
フランス人は、元々自分達のものではない英米の音楽を、
あまり心に感じるところが無いまま演奏している。
その上、こんなやり方は単なるコピーではなく二重のコピーを引き起こす。
アメリカ人はヨーロッパの民俗音楽を良く知っている。
フランス人自身よりもずっと良くだ。
かくしてZAPPAはBARTOKやSTRAVINSKYの和声に多くを求めてみたが何も生み出せなかった。
しかしフランス人は自分達固有の音楽さえ知らないんだ!
BF:新曲が沢山ありますが。例えばロンドンの円形劇場で演奏していた"雨"ですとか。
CV:"雨"−コバイア語の名前は"Lïhns"−は日々の生活のことを歌っており、通常の次元を持った曲だ。
"Mekanïk"のような極限の喜びや苦しみを呼び起こす大曲とは次元が異なっている。
僕は作品がいつまでも残り続けるよう、完全になるまで練り上げ続けるんだ。
僕は大まかなメロディーをピアノで即興し、受信状態になるとそれはやって来る。
時には日常的な通俗さがいくらか残っていて、何日もかけて取り除く必要がある。
曲が完成したと宣言するのは、もはや通俗さが残っていないと判断できた時だ。
しかしながら、半年後に霊的な耳で端から端まで聴き直してみると、新たに不純な部分が見つかる。
その時は作品を改訂するんだ。
かくして僕は"Köhntarkösz"を改訂することになる。
一旦完成したにもかかわらずだ。
同様に"Ptâh"も発展させていくつもりだ。
"Köhntarkösz"の物語をしておく必要があるだろう。
"Köhntarkösz"は「Emëhntëht-Rê」と呼ばれる3枚組みアルバムとなるであろう作品の導入部にしか過ぎない。
それはEmëhntëht-Rêの墓を見つける男の話だ。
彼は墓の中を降りて行き、扉に到達した時故人に捧げられた天使の歌を聞く。
彼が扉を開けると、何千年もの間に降り積もり手が触れられることのなかった埃が舞い上がり、
それは全身の毛孔から彼の体内に侵入する。
彼はEmëhntëht-Rêの全生涯のヴィジョンを受け取る。完全なヴィジョンを。
彼は気を失い、そしてEmëhntëht-Rêの全体験が彼に示されるんだ。
(我々は目撃者である。
2台のピアノだけが演奏され、ドラムはまったくかほとんど聞こえない。これが秘伝伝授の瞬間である。)
この男が目覚めた時には脈絡のない断片しか覚えておらず、それらを意味あるものに再構築しようとする。
Emëhntëht-RêはPtâh神の復活、即ち霊魂の物質化に後一歩という段階まで到達していたが、
Köhntarkösz も全生涯をかけてその段階まで到達しなければならないだろう。
彼はそれをこの世で成し遂げる使命を帯びていたからだ。
しかしEmëhntëht-Rêは、彼の目的が成就することを快く思わない輩によって殺されてしまった。
ゆえにPtâh神は目覚めることなく、ずっと天界に眠り続けている。
誰かが再びPtâh神を目覚めさせる法則を発見するその時まで。
Emëhntëht-Rêはもう少しというところまで到達していた。
Köhntarköszは一生をかけて自分に巡って来た使命を果たそうとする。
この物語は、象徴としてではなく、我々がMAGMAに歩ませようとしている道そのものだ。
BF:Ptâh神は目覚めるのでしょうか?それが最終的な目的なのですか?
CV:目覚めは最終目的の一歩手前の段階だ。
目覚めたPtâh神が最後の運命を決める。
それが僕の思っている通りの運命だという前提に立っての話だが。
BF:その運命とは?
CV:僕からは何も言えない。各々が発見すべきことだ。
それができた時には人々はPtâh神を目覚めさせる準備ができていることだろう。
僕自身について言えば、Ptâh神覚醒の必要性を自覚している。
そして僕がMAGMAでやっていることは人々にその覚悟をさせることだ。
僕は4年後に備えた作曲もやっている。
3年経てば皆そんな曲を「受け入れる」ことができるだろう。
その時こそ、精巧な舞台装置を使って、さらに力強く音楽を推し進めていくことができるだろう。
それ以上のアイディアもあるが今は話すことができない。
誰かがそのアイディアをコピーして通俗化し、結局僕の望まない結果になってしまうのは御免だからね。
計画はかなり常軌を逸したものだ。
そして今、事を起こしていないのはそれが芝居じみたものになってしまうのを恐れてのことだ。
同時に僕自身、ひとつの霊的な何かを達成し、それで僕も準備ができるんだ。
5年前にはMAGMAの母胎しか存在しなかった。
MAMGAは今の新しいラインアップに育まれて、多分今日も創造的成長を続けている。
MAGMAは今、そのあるべき姿の必要性を示しただけに過ぎない。
2〜3年経てば人々も段々と分かるようになるだろう。
その時、皆はもはや音楽を聴くことだけを目的にコンサートに足を運ぶことはなくなっている。
彼らは半分は音楽のため、半分は祭式典礼のためにやって来るんだ。
その後、それはもはや祭式典礼でしかなくなる。
我々は演奏する場所場所に聖堂を築き、そこに男も女も(まだそれを聴衆と呼ぶだろうか?)
厳かに行列をなして訪れることになるだろう。
具体的な作業が必要だ。
我々はある反応を引き起こすある言葉を発することをある者に求めることだろう。
僕は一人きりではない。
Uniwerïa Zektがあらゆる分野で同様のことを引き受けてくれるだろう。
コンサートが終わった後も、人々はまた同じ場所へ来たいという抗いがたい欲求を経験するんだ。
ただ音楽を求めてではなく。
理由は分からなくとも、彼らはすでにこちら側の人間になっているだろう。
死ぬまで、そして永遠に。
Benoît
FELLERによるインタビュー
Rock&Folk誌 #100 1975年5月
張り詰めた綱の上で (Sur la Corde Raide)
新作は(ほとんど)Christian Vander一人の作品である・・・Stellaが一曲だけ参加。
ピアノと歌だけで彼は今最も美しいアルバム「To
Love」(Seventh Records)を創り上げた。
我々はこんなアルバムを待っていたのだが、それは意外な形で実現した。
≪我々は”Another Day”を2枚組アルバム「OFFERING 3&4」として録音するつもりでした。
それは時間のかかる作業で、我々は少しばかり足踏みをしていたのです・・・。
私はそこで、実際遊んでいたようなものでした。
私の両手と・・・意識でもって・・・私は何かを捏ねて形を作ろうと、ちょっとばかり善人のふりをしてこう言おうとしていました。
『見てごらん、僕はこんなことだってできるんだ。』
その後、悲しいことに私はとても親しい友人を亡くし、それがきっかけになりました・・・
このアルバムを作りたいと思った時に確信を与えてくれたのです・・・
私はこのアルバムをJean-Paul(Fenneteau)のために作りたかったのです。
ですから私はこの経緯をテーマに取り上げとりわけ彼のためのこの歌を書き上げました・・・
特に”To Love”のテーマを。
全体としてアルバムはあの当時の水準から見てもまずまずのできでした。
重要なのは、それがまさにあの頃の出来事に起因していることです。
また私には何か静かな音楽を作りたいという想いもありました・・・
どんな叫びとも違う・・・正真正銘・・・苦しみを内包した。
このアルバムには間違いなく首尾一貫した何かがあります。
私はこのアルバムを愛しています・・・。
一人の人間が発展していくこと、それはまるで・・・
人は同じ道筋を辿って進んでいくことはないのです・・・誰一人として。
行為者の果たす役割でもってしかその是非を判断できない行為が存在します。
問題はあらゆる手段を使って発展の努力をすべき点です。
私には物事の秩序は分かりません。
私は最大の苦しみに予め備えようとしているのです。(・・・)
重要なのは、自己を何かに投影することができること、
そしてその時・・・それは実在するのだということを自分自身で知ることです。
さもなければ・・・人は虚像を見て錯覚を抱いているのです。
実際、私にとって肝心なのは、そこに私がいること、感覚として私が見えることなのです:
さあこれが今の−または過去の−Christian Vanderです・・・。
私が投影したいのは私の虚像ではありません、私そのものです!!!
あらゆるものを例外なく解釈・演奏することは可能でしょうか?
「思うのです!・・・我々は砂を演奏しているのではありません!
・・・砂は、やはり砂なのです。砂の上を歩き、そう砂の上を歩くのです・・・。
その時こうは言えない筈です:違う、これは水だ・・・。
あなたが何かの機能を果たすなら、それはあくまであなたの機能なのです・・・。
人はそれがあなただと感じるのです・・・。
あなたは一体となって・・・放射されるのです、遅かれ早かれ。
その瞬間はそれと分かるほどはっきりしているとは思えませんが、
目的はそれなのです・・・調和・・・それだけです!(・・・)
私はもはや全ての作品を同じやり方で作ったりはしません。
今私を惹きつけるのは、全知識・経験を即座に集中することでしか捕らえることのできない瞬間・・・
差し迫った瞬間なのです!(・・・)
そうやって、私は自分が存在する瞬間瞬間を刻み込んできたのです・・・
いつでも最高の自分を目指して。(・・・)
それがChristian Vanderという人物の出発点なのです。
それはMAGMAよりも、かつて私がやったどんなことよりも大切なことです。(・・・)
昔から私は音楽が好きでよく聴きました・・・ほとんど部外者のように・・・
夢中で音楽を聴いていたにもかかわらずです!・・・
しかしそれは自分が音楽の中に存在するということとは違います・・・
音楽と一体になって振動すること・・・それはいくつもの波動です・・・
まさに私達を形作っているように・・・それは物質なのです・・・
理解しなくてはいけないことです・・・
心の奥底から湧き上がり外に向かって拡散していく音楽・・・
まるで、そう、無表情で笑おうとする誰かのように・・・」
聞き手、構成:Olivier DRUBIGNY
月刊 ”JAZZ A PARIS” ? 1988年1月
日本語訳:宮本重敏