アブソリュート・ゼロ インタビュー

  Abosolute Zero Interview

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WB01540_.gif (632 バイト)アブソリュート・ゼロ 1999年11月WB01540_.gif (632 バイト)
インタビュー、翻訳に時間がかかったため、多少のタイムラグがあることを御了承下さい。

質問作成、翻訳 宮本重敏

Q1.まず始めに Absolute Zero (以下AZ)の前回インタビュー(1998年3月)以降の活動について聞かせて下さい。
1999年4月にはフロリダでコンサートをやったと聞いていますが・・・

AZ.その通り。1999年の春、我々はマイアミの Sub Tropics フェスティバルに出演した。とてもおもしろい目にあったよ。ステージの準備中我々血眼になって、充分な電力の確保につとめていた。フェスティバルはビルの2階で行われたのだが、会場係は外部から2階の窓を通して電源線を引っ張り込み、ようやく充分な電力が手に入った。
いよいよ演奏が始まって、2曲目の途中にさしかかったところで、いきなりフェスティバルの会場を含む1ブロック全体が停電になってしまった。実際には電力会社の方の事故だったんだが、始めは我々が電力を使いすぎたせいで、そうなったのかと思ったよ。観客も始めのうちは演出のひとつだと思ったみたいだね。結局演奏はそれっきりになってしまった。まあそれなりに楽しい演奏ではあったが・・・

その後は、1999年秋に Pip Pyle を含む新生 AZ として、カリフォルニア、ルイジアナ、フロリダの各州をツアーし、またタンパでフルアルバム用のベーシックトラックを録音した。多分 "Crashing Icons"というタイトルが付くだろう。

Q2.Paul はどうしてバンドを辞めてしまったんでしょう?

AZ.人のことを横からあれこれ言うのも難しいんだけれど・・・。彼は少し前からもうちょっと別の音楽、または音楽以外のことをやりたいとは言っていたんだ。(彼は1979年以来 AZ の一員としてやってきた。長い道のりだ。)彼は  AZ でやれることはほとんどやり尽くしたと感じたんだと思う。彼は今から更なる道を求めて、人生の航路へ乗り出して行くんだ。今でも彼は我々の親友だし、彼の探求がうまく行くことを心から望んでいるよ。

Q3.何時、何処で、どの様にして AZ と Pip さんは出会ったのですか?

Pip Pyle (以下 PP).僕と Enrique には共通の友人がいた、今は亡き Alan Gowen のことだよ。今回一緒にやる2〜3年前からぼくらはそれなりにやりとりをしていたし、お互いのレコードを交換したりもしていた。前任の(とても素晴らしい)ドラマー Paul が去ったとき、(少なくとも僕はその理由を知らないが)、AZ は後先考えずに僕にバンド参加を要請してきた。直に僕のような人間を呼んだことがどんなに高くつくか後悔するだろうね.。

Q4.3人のメンバーそれぞれにお聞きします。加入以前、 Pip さんは AZ の、AZ は Pip さんの音楽をどのように評価していましたか?

Enrique Jardines.僕が初めて Pip のことに注目したのは、Gong や Hatfield & the North での彼のプレイを聴いたときだった。1976年、僕が音楽上の理由でイギリスに渡ったとき、National Health の仲間だった Pip と初めて会ったんだ。それ以来僕はいつも Pip のプレイには深い敬意を払ってきたし、コンタクトもとり続けていた。1999年5月30日 Paul がバンドを去ったとき、それは我々の音楽の方向について最チェックする良い機会だと思ったんだ。僕の頭に最初にひらめいたのが Pip に電話をすることだった。AZ に参加しないかという挑戦を受けて立つに、最も相応しい人物だと思ったからね。翌5月31日には Pip は AZ のメンバーとなり、以来ツアー・レコーディングと続くわけだ。
(訳注:Enrique は1976年ロンドン滞在中はその大部分を Alan Gowen のところにやっかいになり、 National Health のリハーサルにも同行していたという。)

Aislinn Quinn(以下AQ).始めは単にひとつの可能性として、Pip に頼んでみようという話が Enrique から出たんです。その時私は既に Pip の在籍したバンド、例えば National Health、Hatfield & the North、In Cahoots、Equip Out などのことは知っていましたし、アルバム "7 Years Itch"も聴いていました。こういった音楽はたいそう楽しくって、レコードも何度も繰り返し聴きました。ただ、AZ の音楽とはスタイルがあまりにかけ離れている感じがしましたので、果たして Pip が私達と一緒にやることに興味を示すかどうか半信半疑でした。でも、バンドに急に訪れたこの困難な局面に対して、Pip はミュージシャンとしてだけでなく、人間としても最適の人物だという強い直感が Enrique にはありました。冒険的な精神と、体力的なタフさの要求される AZ ですが、Pip はその両方を兼ね備えているというもっぱらの評判でした。私は今一度彼のプレイするレコードを真剣に聴き込んでみました。後の作品になるほど(例えば Equip Out や、近年の In Cahoots )彼のプレイは複雑になってきているようです。彼はトムよりもシンバルに愛着を持っているようで(Tony Williams, Elvin Jones)、これが AZ の中に入って来たらどうなるのかと考えをめぐらせてみました。やがて、過去の AZ にはピッタリこなくても、新しい領域への移行を促すものではないか、と思えるようになってきました。

私の考え方として、音楽家なり芸術家なりのグループにいて自分の作品を生み出すときは最大限自分のコントロール下に置かねばならないけれど、その作品の本当の価値は、その作品を解釈するにあたって、自分のコントロールに対して邪魔が入る、あるいは完全に反発される、そういう際に発せられるエネルギーの総体にあるとも思うんです。人生は旅の様なものであり、我々に出来るのはそこで起きる出来事に全力で立ち向かうことだけ。私は Enrique の直感を信じて、今が一歩を踏み出すべき時だと思いました。

Enrique は Pip に電話をかけて、AZ に加わらないか、と尋ねてみました。即座に "Yes" という答えが返ってきました。これはちょっと普通では考えられないことのように思えました。新たな冒険の始まりと言いますか、AZ の様な大きな問題にこんなに早く "Yes" と言える人は、よほどの勇気と冒険心にあふれた人物に違いありません。(さもなければ大きな間違いです。)電話で彼と手短に話をしてみましたが、 Pip こそが最適の人材であると思えるようになってきました。

PP. 前にも言ったけれど、始めはお互いにレコードやなんかを交換していたんだ。お互いのやっていることについては一種の尊敬の念を持っていた、というか、少なくとも僕は本当にこう思っていたんだ。「Enrique は素晴らしいベーシストで、Absolute Zero はとてつもなく難しいことをやっている。」実際 AZ の音楽はリラックスとかイージーリスニングとはほど遠い。その手の音楽ならどこにでもあふれているしね。AZ を音量を上げて聴けば、退屈、喋り過ぎ、そしてたいがいの嫌な客を追っ払うのにとても効果的だ。(僕がやっている音楽もどちらかといえばそうだけれど。)それは間違いなくある種の深遠な感情の高まりを引き起こし、しかも僕にとっては常に肯定的に対応できるものだ。他の人は最寄りの出口から非難するかも知れないけれどね。この間の夜、僕はヘッドフォンで彼らの曲を聴きながら寝てしまったんだ。おかげで人生最悪の夢を見てしまった。たぶんこれが虫の知らせだったんだね。

Q5. Pip さんにお尋ねします。"7 Year Itch" は日本でも好評ですが、AZ 以外にも今後の音楽活動の予定があったら教えて下さい。

PP. "7 Year Itch"が日本でも好評だとは嬉しいね。あのアルバムを仕上げることが出来たということで本当にほっとしているんだ。だからリリース後は一度も聴き直していなかったりする。だけれど、発売に関しては概ね満足しているし、大勢の人に(少なくともアルバムの一部は)気に入ってもらえたみたいで嬉しいよ。引退してピレネーの麓かどこかで山羊でも飼って暮らしたいという気持ちも強いんだけれど、現在も幾つか曲は書いているよ。これはまるっきりドラムだけ叩いているうちに出来上がってきた、または何よりもリズムに重点を置いたアイディアに基づいた曲なんだ。ともかくこういう作曲の仕方というのは僕にとってはまったく珍しいやり方で、普通はピアノを使って、ハーモニーを考えながらもっとシンプルな曲を作るんだ。大体それはギターの Patrice Meyer 、ベースの Fred Baker と僕のトリオを念頭に置いたものなんだけれど。今一度自分の曲で思う存分ドラムを叩きたいと思っているんだ。例えば"7 Year Itch"ではドラムなんて本当に雑用程度にしか叩いていないから。また僕は、親友 Phil Miller のバンド In Cahoots では生涯雇用の高給取りだ。年末には新作のレコーディングとヨーロッパツアーの話もあるよ。ところで、またそろそろこの小さなダンスバンド、もう1度日本に呼んでくれないかな?

またこれとは別に、John Greaves, Emmanuel Bex (フランスのハモンドオルガン奏者だ。), Michel Godard (チューバ奏者)達と時々演っているよ。Daevid Allen, Hugh Hopper と僕とで組んだ新グループ Brainville のCDが今週出る予定もある。去年ニューヨークで録音したやつだね。

Q6. ここ日本では、今回あなたが AZ に加入したことで、米チェンバーミュージックと英カンタペリーシーンの合体ということで期待を集めています。このことで AZ の音楽スタイルにも変化が生じるでしょうか? Pip さんも曲を提供する予定はありますか?

AQ. Pip がドラマーとして参加してくれたことで、 AZ は変わらざるを得ないと思います。(それも前向きに。)彼の演奏スタイルは私達に決定的な影響を及ぼすでしょうし、我々のスタイルもまた彼に影響を及ぼし得ると思います。演奏者全員と、各演奏者が放つ音楽のオーラが摩訶不思議な焦点を結ぶこと、それが音楽の本質です。AZ にいて各メンバーお互いの強烈な個性に影響を受けないなんて、精神が麻痺してでもいなければあり得ないことです。米チェンバーミュージックと英カンタペリーシーンの合体ということですが、我々が過去を引きずってステージに上がるのは事実として、願わくばその過去が現在から未来に向けて、この新しい AZ が発展して行くバネとなってくれればと思います。

PP. 僕は君が簡単に言うほど多産な作曲家ではないし、ミュージシャンのスタイルの感じを掴むのにだって随分と時間のかかる方なんだ。演奏することが何か意味を持つような、少なくとも彼ら自身に解釈できて、彼らの音楽的パワーと個性を発揮できるような何かを書くというレベルに達するにはね。ひとつの例として Duke Ellington を挙げるけれど、彼は特にそういう方面には才能のある人だった。AZ で言えば、今の時点では Enrique や AIslinn の方が僕なんかよりずっと上手くそれが出来ると思うよ。なんと寛大な連中なんだろう、もう既に僕に「何か曲を書いてこないか?」って言ってくれているんだ。でも僕の答えは「ちょっと待ってくれ。あれこれ考えなくてもバンドとしてうまく機能し始めたらその時にね。」ということだよ。

Q7. AZ としては前のメンバーで既に2nd、3rdアルバム用の音も録音してあると聞いていますが、今回ドラマーが変わったということで、次作は新編成でまるっきり新しく録り直すのでしょうか?

AZ. 我々は昔の曲も全て録音し直すつもりだ。唯一の例外は Paradigms で、これが Paul が叩いた1stミニアルバムでしか聴けない曲になるだろう。新曲を幾つか付け加え、願わくば Pip の曲も入れたいと思っている。

Q8. Pip さんは現在パリに住んでいて、他の二人はフロリダ在住ということで、例えばコミュニケーション、リハーサルといった点で不都合はないのでしょうか?

PP. たった今僕は AZ の曲をかなり詳細に聴き込んで、曲の構造と彼らがそこで表現しようとしていることの両方と折り合いを付けようとしているんだ。今のところは陸に上がったクジラ状態だけれどね。分かってくれると思うけれど、たいがいの曲はドラマーにものすごい要求をしてくるもんだから、今僕はポリリズムやらテンポチェンジやらのパズルと取っ組み合いの際中さ。だって今までこんなのにはお目にかかったことがないんだもの。これに比べれば飛行機に飛び乗ってフロリダにリハーサルに行くことぐらい朝飯前ってところだ。Enrique と Aislinn のもてなしが、その音楽と同じほど手厚いものだといいね。ツアーをするとなると余計な出費がかさむだろうし、もし彼らが大西洋のこっち側へ来るとなれば、お金のことは真剣に考えなくては。でも分からないよ、お互いのスタジオにいながらにして、インターネット回線で繋いでリハーサル出来る時代がもう2,3年かそこらで来るかも知れないよ。

みんなに会える日を楽しみにしているよ。
愛、エンドウ豆、使い古しの紙袋に入れて。
Pip
(訳注:原文は Love, peas and old paper bag.  Pip 一流のユーモアあふれるジョークである。)

Q9. 今後のスケジュールを教えて下さい。ヨーロッパツアーの可能性もあると聞きましたが。

AZ. Pip は2000年3月にもう一度フロリダへやって来て、"Crashing Icons" のオーヴァーダビングとミックスを完成させるが、その時に幾つかライブもやろうと思っている。我々は既にその次のアルバムについても話を進めていて、うまく行けば2000年の夏にレコーディングに入れると思う。

ヨーロッパツアーは大変費用がかる。金払いの良いフェスティバルを幾つかこなして残りのツアー費用をまかなうようなことでもないとなかなか行けないんだ。これさえクリアーできればヨーロッパツアーは是非行ってみたいと思っているし、何度も我々の議題に上っていることなんだ。

Q10. 近い将来この新編成 AZ を日本でも見られるでしょうか?

AZ. やはりツアー費用が問題だ。何らかの補助かプロモーターの助けが必要だ。実際日本で演奏できれば大変光栄なことなので、是非行きたいと思っているよ。

1999年11月
Absolute Zero
Aislinn Quinn
Enrique Jardines
Pip Pyle 

 

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WB01540_.gif (632 バイト)アブソリュート・ゼロ 1998年3月WB01540_.gif (632 バイト)

質問作成、翻訳 宮本重敏

(このインタビューは1998年3月、AZのCD国内プロモートのために、電子メール上で行ったインタビューに加筆したものです。)

Q1.Absolute Zero (以下AZ) のリーダーはどなたですか?

AZ.AZにリーダーはいないんだ。グループとして活動するにはメンバー全員の合意がなくてはならない。


Q2.バンドの名前の由来を教えて下さい。

AZ.Absolute Zeroというのは、我々が自分たち自身の活動をどう位置づけるか、ということを表わす言葉なんだよ。科学的に言えば、Absolute Zero (絶対零度)とは全ての物体が分子運動を停止するという温度(−273℃)のことだけれど、これを我々は発想と創造の原点というふうに解釈したんだ。我々の最終目標は芸術を通じての自己実現だから、そのために常に自身の意識・行動のチェックを怠らず、希望に満ちた未来を信じて前向きで責任ある活動を進めていく必要がある。既成の何ものにもとらわれずに、それらを始めるためのスタート地点、それを我々はAbsolute Zeroと呼んだんだ。
それより何より、メンバー全員が納得できる名前というのがこれしかなかったわけだ。


Q3.曲を主に書いておられるのはどなたですか?作曲に関しては正規の教育を受けて(classically trained)おられるのですか?

AZ.我々は全ての曲をグループ全員で作り上げているんだよ。リハーサル中にあるメロディーが浮かび上がって来ると、その中の個々の音色や響きについて全員で活発な議論を戦わせている。この議論を生き延びた断片が後に曲へと発展していくんだ。
教育という面で言えば、Enrique と Aislinn は作曲の修士号を持っているし、Paul は色々な経験を通じてしっかりと鍛えられているよ (classically trained)。


Q4.曲作りは具体的にどのように行われるのですか?

AZ.それぞれ個別のメロディーが一つの曲としてまとまっていくときには、音同志が密接に関連し合ってある種のエネルギーが生まれる。これは音楽を単なる音の寄せ集め以上のものにする力を持っていると思う。AZはそのエネルギーをより力強くして、妥協のない音楽づくりをしていきたいと考えている。
我々は増幅器や様々なエフェクト類を駆使して、不協和音の壁を作り出す。この音の壁に幾つもメロディーをはめ込む様にして配置し、対位法の手法を使って音楽として整えていくんだ。こうして出来上がる音構造の中から、我々はより大きなエネルギーを感じさせる音の流れを見つけ出し、そしてそれを曲に発展させていっている。こうした手法については20世紀の室内楽との類似を指摘する人もいるけれど、AZはロックミュージックが本来持っていた攻撃的かつ革新的な意志をも失わず持ち続けたいと考えているんだ。


Q5.あなた方は自分の音楽をロックミュージックとお考えですか?それともロックが本来持っていた意志を受け継ぐ別の音楽とお考えですか?もしそうならそれを何と名付けますか?

AZ.音楽家の目指すゴールは、音楽を通じての創造とコミュニケーションだと思っている。それをどう呼ぶかは音楽学者・評論家・歴史家の仕事だよ。


Q6.あなた方のCDを聴く限り、そのほとんどが厳密に作曲されているように聞こえるのですが、即興に対してはどのような考えをお持ちでしょうか?AZの音楽はどの位即興がウェイトを占めているのでしょうか?

AZ.こういう質問をよくされるが、逆に「あなた達の音楽は全部即興ではないのか?」と聞かれることもあるんだ。作曲派に対して我々は「長い間いっしょに演奏していればお互いのことがよく分かるから、あたかも作曲されたような即興も可能なのだ。」と言うことにしているし、一方即興派に対しては「即興のように聞こえても、細部にわたって長期間のリハーサルを繰り返し、その音色までとことん練り上げてそういう風に作曲してあるパートもあるんだよ。」と答えている。
即興は我々の音楽の中で大きな役割を果たしている。聴衆とのコミュニケーションを考えると、厳密に作曲されたパートと完全な即興のパートをうまく組み合わせるのが最良のやり方じゃないだろうか。我々は2〜3の約束事だけを決めて即興を行うけれど曲全体の流れを壊さないことに特に気をつけている。その約束事も、それぞれの曲に応じてひとつひとつ違うから、なおいっそう作曲パートと即興パートの見分けがつけにくいのだと思う。作曲パートは即興に突入していくためのイントロの役割を果たしていると言っても良い。
お互い一言も交わさずに即興で演奏を続けることもよくあるよ。完全な即興からは実に多くのアイディアが生まれてくる。我々の曲にもこういうアイディアがたくさん盛り込まれているんだ。
我々にとって最高の即興とは、我々3人がある種の意識状態でお互いにつながり合うことなんだよ。これは他の方法ではなし得ないものだ。


Q7.お好きなミュージシャン、またはどんな分野でもかまいませんからお気に入りの人物を挙げて下さい。

AZ.あまりに多くて挙げきれないな。挙げ忘れた人にも失礼になるから、あえて人名を挙げることは控えよう。しかし、我々のインスピレーションの源となった幾多のジャンルをリスト・アップしておくので、多少なりとも我々のお気に入りを知る手がかりになればと思う。

フォークとブルース音楽の持つ荒削りな実直さ
ジャズの持つ即興的な自由さ
20世紀の作曲技法の持つ複雑さ
世界中の民俗音楽の多様性
ロック音楽が元来持っていた、電気的に増幅・変形させられた、性急で異形のエネルギー
これらの音楽に我々は大いに感ずるところがある。
音楽以外の分野では、
ダダイズム、シュールリアリズム、50年代のビート詩人たち、フルクサスの運動、虚無主義、社会主義、チベットの死者の書、無政府主義、実存主義、そして60年代後半から70年代初頭にかけてロックミュージックが生み出した全く新しい体験、などかな。


Q8.Henry Cow, Art Bears の活動が無かったら、AZ の音楽ももっと違ったものになったのではないかと思うのですが、彼らの影響は認めますか?

AZ.一人のミュージシャンがあるバンドの音楽を聴いて良いと思えば、既にそれは彼(または彼女)の一部となっていると言えると思う。それらの記憶はまた将来において自在に利用することが出来るんだ。だから我々は上記2グループに限らず我々より先に活動を始めたあらゆるバンドに影響を受けていると言っておこう。文化の全くない世界には生きられないのだからね。
もちろんHenry Cow, Art Bears 両グループに対しては、その独立の精神と、音楽的・政治的に妥協を許さない姿勢に心から敬意を払っているよ。


Q9.合衆国内で、AZとコンタクトを取り合っているミュージシャンはいますか?以下の人たちはご存じですか?
5UU's
Wayne Horvitz
Elliott Sharp
Caveman Shoestore
Amy Denio
John Zorn

AZ.Caveman Shoestore の連中とは、フランスの Mimi Festival の会場で会ったことがある。(残念ながらAZは出演できなかったが、彼らはとっても陽気で、しかも独特な音楽を演っていると感じたよ。)その他の人とは直接会ったことはないんだが、ほぼ全員の音楽をコンサートやCDで聴いたことはある。冒険的な音楽に対する合衆国音楽市場の冷たさと、この手の音楽を多くの人に聴いてもらうために払わねばならない努力の大きさは、我々も経験からよく分かっているから、上記のミュージシャンたちの活動は大いに評価したい。


Q10.フロリダにはあなた達の他にもおもしろいミュージシャンはいますか?それとも AZ は孤立状態にあるのでしょうか?

AZ.AZ の歴史上 Keith Hedger 、Jim Stewart 両氏との出会いは大変幸運なことだったと言える。2人は現在 Shim というバンドで、フロリダ州セントピーターズバーグ市を根拠地として活動している。この2人の才能溢れるミュージシャン達はAZとも関わりが深い。我々はJim の紹介で Keith と出会うことが出来、Keith はその後しばらくAZのメンバーとなった。AZはKeith と Jim そして Shim を音楽家として尊敬しているし、彼らの音楽も大好きだ。Shim は合衆国の各地でコンサートを開いて高い評価を受けている。
それ以外となると、AZはこれまで練習と作曲、手紙のやりとり、そして何より我々の2nd,3rdアルバムの完成のためにお金を出してくれるスポンサー探しに忙殺されてきた感がある。そのため周囲の他のバンドと交流し、その音楽を楽しんだりするという機会がなかった。そういう意味では“孤立している”と言える。この状況は何とかしたいと思っているが。


Q11.AZは(合衆国内の)どこでライブを行っているのですか?どの位の聴衆が集まりますか?

AZ.ライブは大好きだが、これまで十分にそれが出来たとは言い難い。我々がフロリダ州へ引っ越してくる前は、マサチューセッツ州及びローズアイランド州がホームグランドだった。大がかりなコンサート、ライブハウス、音楽フェスティバル、大学、単独のライブもあれば多くの共演者がいるものもあった。どれも楽しい想い出だ。フロリダへ来てから今までライブにはあまり積極的ではなかった。今はもっぱらCDの制作に重点を置いているからだ。
どの位の人が聞きに来ていたかとなるとなると、申し訳ないが正確に把握できていない。
しかし、みんな熱心にAZの音楽を聴いてくれたよ。


Q12.「音楽はかくあるべし」という哲学のようなものがあったらお聞かせ下さい。

AZ.よく「AZの音楽は調和がとれていない感じがする。」という指摘を受けることがあるが、それは我々が作編曲にあたってこんなこだわり持っているせいだと思っている。
例えば同時に幾つものメロディーが重なり合ったとき、どれか一つのメロディーを選んで強調することをあえてしない。同様に特定の楽器が曲を通してリードをとることもない。(いわゆるリズムセクションとそれにのせられたメロディー楽器、もしくは歌に服従する伴奏楽器という形式への対抗である。)そしてハーモニーについては、いわゆる和声という概念を捨て、個々のメロディーの集合と見なす、といった具合にね。
要するに、全てを平等に扱うこと、個々のパートをより大きなものの犠牲にしない、そして各演奏者・楽器・音楽的諸要素に同等の重要性を認め、その立場を断固として守り抜くというのが我々の哲学なんだ。

一方今日の世界にはびこるアンバランス、我々はひとりでも多くの人にこれに気が付いて真剣に考えて欲しいと思っている。人類のバランスを犠牲にして成り立つものを当然と考えていないだろうか?そのためにどれ程多くの人が苦しんでいるか考えたことがあるだろうか?人間社会や経済活動に自然淘汰の法則を当てはめてはならない。強者は弱者の立場への思いやりを忘れてはならない。欲望と争いの経済は地球資源を浪費して、最後には破局を迎えることになるだろう。多くの人はこういう現実から目をそむけ、目先のことだけを考え楽な方へ楽な方へと流れていくいく傾向がある。我々はこういう風潮に対して断固戦って行こうと思う。我々の音楽と信念をもってそれを変革していかねばならない。

「現状に満足するな!変革せよ!!それこそが自由というのもである。」
 AZ 1998年のスローガン


Q13.日本のリスナーにメッセージをお願いします。

AZ.私達は、日本の温かく豊かな文化を学びたいと心から願っております。日本へ行ってその文化に直に触れ、そしてもちろんみなさんの前で演奏できる日が来ることを楽しみにしています。日本の人達からの応援には、この場を借りて深く感謝の意を表すものであります。

1998年3月
Absolute Zero
Aislinn Quinn
Enrique Jardines
Paul Roger 

 

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